週のはじめに考える 緊急事態条項という罠 - 東京新聞(2017年4月9日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017040902000170.html
http://megalodon.jp/2017-0410-1914-35/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017040902000170.html

「大災害で国会議員が不在になってもいいのか」。もっともな議論に聞こえますが、憲法改正の道を開く取っ掛かりにしようとの意図が透けて見えます。
先月開かれた衆院憲法審査会で「緊急事態条項」を新たに憲法に盛り込むべきか否かが議論になりました。緊急事態条項とは、大規模災害や外国からの武力攻撃などの緊急事態が起きた場合、政治空白をつくらないための手続きを定める項目を指します。
現行の日本国憲法には、そうした条項がないとして、憲法を改正して新たに定める必要がある、と自民党が提唱したのです。
◆自民が改憲項目に提案
現行憲法衆院議員の任期を四年、参院は六年と定めています。国政選挙の直前に大規模災害などが起きて選挙が行えなくなった場合、国会議員の一部が不在となる可能性はなくはありません。
憲法五四条は、衆院が解散された後に緊急の必要がある場合、内閣は参院の緊急集会を求めることができる、と記していますが、自民党は、衆院解散から特別国会が召集される最大七十日間を想定した制度であり、憲法を改正して国政選挙の延期や議員任期の延長を新たに盛り込む必要があると主張しているのです。
もっともな議論のように聞こえるからこそ、要注意です。
安倍晋三首相(自民党総裁)は三月五日の党大会で「憲法改正の発議に向け、具体的な議論をリードする。この国の背骨を担ってきた自民党の歴史的使命だ」と強調しました。かつては、自らの「在任中に成し遂げたい」と、改正への意欲を述べたこともあります。
かといって、自民党が一九五五年の結党以来、訴え続けてきた戦争放棄の九条改正は、国民の間で抵抗感が依然根強く、ハードルが高いのが現実です。
◆戦争中にも衆院総選挙
安倍氏の党総裁としての任期は先の党大会での党則改正により、最長で二〇二一年九月まで延長されましたが、自らの在任中に党是である憲法改正を実現するには、九条よりも、緊急事態条項を理由にした方が国民の理解を得られるのではないか、安倍氏がそう考えても不思議はありません。
緊急事態条項は、安倍氏が在任中の憲法改正を成し遂げるための手段のようにも受け取れます。
緊急事態条項を定めておかなければ国民が著しい損害をこうむる恐れがあるのならまだしも、改憲の突破口を開くための罠(わな)にされてはたまりません。
それだけではありません。自民党が一二年にまとめた改憲草案では、緊急事態宣言時には国会議員任期の延長に加え、首相に権限を集中させ、内閣が法律と同じ効力を持つ政令を制定できることや一時的な私権制限も可能にすることが盛り込まれています。
国会議員任期の延長を理由にしながらも、緊急事態発生時に国会から立法権を奪い、基本的人権を制限することが真の狙いではないのかと勘繰りたくもなります。
全く同じと言いたくはありませんが、かつてのナチス・ドイツヒトラーが独裁を築いたのも、国家緊急権による基本権の停止と、内閣に無制限の立法権を与えた全権委任法でした。
そもそも緊急事態発生時に選挙はできないのでしょうか。
東日本大震災が起きた一一年に被災地で地方選が延期された例はありますが、太平洋戦争真っただ中の一九四二年四月には衆院で総選挙が行われました。戦争という国家にとって最大の非常時ですら国政選挙が行われた歴史的事実に注目する必要はあるでしょう。
一方、衆院議員の任期は一度だけ延長されたことがあります。旧憲法下の四一年、対米関係が緊迫する中、国民が選挙に没頭するのは適切でないという理由でした。
しかし、軍部に批判的な議員が当選する機会を奪う狙いもあったのでしょう。結局、国民が政治に民意を反映させる機会は奪われたまま戦争が始まります。議員任期延長の弊害でもあります。
◆国民の自由奪った末に
憲法は主権者たる国民が権力を律するためにあります。現行憲法に著しい不備があり、国民から改正を求める声が澎湃(ほうはい)と湧き上がっているのならまだしも、そうした状況でないにもかかわらず、改憲を強引に推し進めるのなら「改憲ありき」との誹(そし)りは免れません。
大災害や戦争を理由にされるとその方向に誘導されがちですが、自民党が主張する緊急事態条項の本質を見抜き、主権者として正しく判断しなければなりません。
戦前、戦中には非常時を理由に国家総動員体制が敷かれ、国民の権利や自由が奪われました。その結果が無謀な戦争への突入です。今を生きる私たちが、同じ轍(てつ)を踏むわけにはいかないのです。