嘉手納判決 「静かな夜」はほど遠い - 東京新聞(2017年2月24日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017022402000146.html
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沖縄の米軍嘉手納基地をめぐる騒音訴訟で過去最高の約三百二億円の損害賠償を認める判決が出た。だが、嘉手納の空に静けさが戻るわけではない。国も司法も米軍も思考停止しているのでないか。
米軍基地に絡む騒音被害の訴訟は今やワンパターン化しているといえる。騒音被害の賠償は認めるけれど、米軍機の飛行差し止めは退ける−そんな形式である。
これは一九九三年に最高裁が、国に米軍機の運用を制限する権限はないと判断したことを根拠としているのだろう。
第四次厚木基地騒音訴訟では自衛隊機についてのみ、夜間と早朝の飛行を差し止める判断が出たものの、最高裁で取り消された。昨年十二月に飛行差し止めを認めない判断が確定している。
だから、いよいよ賠償は認めるが飛行差し止めはなしという形式が明確化している。それに従えば、今回の判決も容易に予想できた。嘉手納町などに住む原告のほぼ全員にあたる二万二千五人について、過去の騒音被害を認めて国に賠償するよう命じたのである。
賠償額は原告によって異なる。国が住宅防音工事を行う基準である「うるささ指数」(W値)をものさしにしている。W値七五の原告には一カ月あたり七千円。W値九五だと三万五千円…。だが、国がお金を払えば済む問題ではない。騒音は人間の生活や生存そのものを脅かす公害だからだ。
原告が真に求めているのは「静かな夜」である。その点を国も司法も米軍も、どれだけ真剣に考えているだろうか。
もともと九六年に嘉手納基地の午後十時から午前六時までの飛行制限については、日米両政府の合意がなされたはずである。ところが実際には昼夜を問わぬ爆音にさらされている。滑走路に近い地区では二〇一五年度に夜間・早朝に月平均で一七五・七回もの騒音が発生しているという。
確かに那覇地裁沖縄支部は「周辺住民に生じている違法な被害が漫然と放置されている」と国の対応を非難した。ならばもっと強く騒音被害の改善を図るよう国に迫るべきであろう。国も日米間の合意に基づいて、日米合同委員会などの場で米国側に強く働きかけるべきである。
約三百二億円という史上最高の賠償額を国はもっと深刻に受け止めるべきである。「静かな夜」で眠りたいという、人間としての当たり前の求めに真摯(しんし)に応答しないといけない。