(筆洗)クレアさんらの奔走で助けられた人は、三千人ともいわれる。この事実こそ長く伝えるべき「世紀の特ダネ」だろうが - 東京新聞(2017年1月12日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2017011202000135.html
http://megalodon.jp/2017-0112-0939-52/www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2017011202000135.html

一九三九年の八月二十九日、英紙デーリー・テレグラフは一面で、特ダネを伝えた。<戦車千両がポーランド国境に集結/十師団が急襲の構え>。その三日後、ドイツ軍のポーランド侵攻第二次世界大戦は勃発した。
テレグラフ紙に「世紀の特ダネ」をもたらしたのは、記者になって一週間もたっていない二十七歳の新人クレア・ホリングワースさんだった。外交官の車を使って国境地帯に入り込み、ドイツ軍がひそかに進めていた開戦の準備を見事、暴露したのだ。
以来、戦場から戦場へと歩き、国際政治の内幕に迫り続けた。年老いてからも、すぐに飛び出せるよう、手の届くところにパスポートがあることを確かめてから、眠りに落ちたという。
彼女が初めて戦争を目にしたのは、第一次世界大戦中だった四歳の時。ドイツ軍が故郷の近くの町を空爆した。それから、おととい百五歳で逝去するまで「戦争の世紀」に目を凝らそうとし続けた。
昨年十月の誕生日、クレアさんは見知らぬ女性からお祝いを受け取ったという。それは、記者になる前にポーランドで取り組んでいた難民救済活動で命を救われた少女からの、お礼の言葉だった。
クレアさんらの奔走で助けられた人は、三千人ともいわれる。この事実こそ長く伝えるべき「世紀の特ダネ」だろうが、救えなかった多くの命を思ってか、多くを語らなかったそうだ。

参考サイト)

(筆洗)映画『ニコラス・ウィントンと669人の子どもたち』 - 東京新聞(2016年11月26日)
http://d.hatena.ne.jp/kodomo-hou21/20161126#p4

しかし戦後、ニコラスさんは、救い切れなかった無数の命を思い、自らの英雄的な行いについて、口をつぐんだ。妻にさえ打ち明けなかった。その理由を問われれば、英国紳士らしくユーモアを交え答えた。「夫が妻に言わないことなど、たくさんあるよ」
昨年百六歳で逝った彼と、彼を父と慕う子らの姿を描いた映画『ニコラス・ウィントンと669人の子どもたち』がきょう、東京などで公開される。