(筆洗)その書を開けば今でも、先生の教え子になれる - 東京新聞(2016年12月9日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016120902000139.html
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夏目漱石のまな弟子・鈴木三重吉は、師と同じく神経衰弱に苦しんだ。大学を休学しなくてはならず、自殺を思うほど追い詰められたが、それを救ったのが、漱石からの手紙だったという。
漱石の書簡集にある三重吉宛ての一通は一九〇五年の大みそかに書かれ、消印は元日の午前零時から五時。夜更けまで書き、わざわざ出しに行ったのであろう、その手紙からは、漱石の心のぬくもりが、湯気を立てんばかりに伝わってくる。
<書斎で一人で力んでいるより大(おおい)に大天下に屁(へ)の様な気焔(きえん)をふき出す方が面白い。来学年から是非出て来給(きたま)え>このころ漱石自身も精神的に苦しみ、「屁の様な気焔」を天下にふき出すつもりで『吾輩は猫である』などを書いていたのだ。
そんな教育者としての顔は弟子らにだけ向けられたのではなかった。後年、三重吉が師の家を訪れると、汚い服を着た少年に英語を教えていた。体調が悪そうなのに丁寧に教え続けた文豪はこう言って笑ったという。
「どこかの子だか、英語を教えてくれとやって来たのだ。私はいそがしい人間だから今日一度だけなら教えてあげよう。一体だれが私のところへ習いにいけと言ったのかと聞くと、あなたはエライ人だというから英語も知ってるだろうと思って来たんだと言ってた」
漱石没して、きょうで百年。その書を開けば今でも、先生の教え子になれる。