(私説・論説室から)明治の言論人が毒殺? - 東京新聞(2016年11月16日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2016111602000135.html
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明治の言論人に植木枝盛という人物がいた。安政年間の一八五七年に土佐(高知県)に生まれ、九二年に亡くなった。
自由民権運動に奔走し、同郷の板垣退助の書生だったこともある。九〇年に帝国議会が開設されたとき、第一回衆院選高知県から立候補し、当選した国会議員でもあった。
さかのぼる八一年に植木が著した「東洋大日本国国憲按(あん)」を読むと驚く。当時、民間でさかんにつくられた憲法私案の一つである。
主権在民基本的人権の保障、地方自治もそろっている。人民は平等であって、自由権利を侵されることはないとする。思想の自由も、宗教の自由も、集会・結社の自由もある。「男女の同権」という論文もある。
植木の研究をした歴史家の家永三郎氏は「日本国憲法は、植木枝盛草案ときわめてよく似ている」と記している。
さて、植木草案の注目すべきは、抵抗権を書いていることだ。つまり政府が憲法に反することをしたら、人民は政府に従う必要はないという権利だ。政府官吏が圧政をしたら排斥するという条文までもある。
家永氏は恐ろしいことを書いている。数え三十六歳で死亡したことについて、「私は毒殺された公算が高いと思っている」。
暴政を敷けば人民が新政府を建設できると定めた条文が、明治の為政者たちを震え上がらせたのかもしれない。 (桐山桂一)