「戦中・戦後の教科書展」170点展示 柿生郷土史料館で29日から:神奈川 - 東京新聞(2016年10月26日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/list/201610/CK2016102602000164.html
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川崎市麻生区の柿生郷土史料館で29日、「戦中・戦後の教科書展」が始まる。同館がある市立柿生中学校が創立70周年を迎えるのを記念した企画展。戦中・戦後の子どもたちの学習の様子を伝えようとの狙いで、関係者は「新史料を募り、当時を知る皆さんから懐古談をうかがう機会にもしたい」と意気込んでいる。 (山本哲正)
教育基本法や学校教育法が一九四七年に制定され、義務教育が六年から九年に延長され、新制中学が始まった。柿生中は現在の麻生区内では当時、唯一の新制中学として誕生した。
企画展には、同区王禅寺東の琴平神社に保管されていた、先代宮司志村文雄さんやきょうだいらが使った教科書を中心に、計約百七十点が展示される。
史料館によると、柿生中で使用された理科の教科書は、一冊にまとまった形ではなく「私たちの科学1 空気はどんなはたらきをするか」「私たちの科学2 水はどのように大切か」など、六巻に分かれていた。一巻は四七年三月発行だが、二巻は同年十一月になって発行されており、戦後の混乱がうかがえる。
どこの学校で使われたかは分からないが、旧制中学校で使われた英語や国史(日本史)の教科書もある。英語は戦時中、敵性語とされ、野球用語のアウトやストライクも日本語に言い換えられていた。それだけに学校で英語を教えていた意外性を感じさせる。一方、国史は、国の成り立ちは神話から始まっている。皇位継承をめぐる戦い「壬申の乱」などは記されていない。
教科書ではないが、柿生中で毎年作っている生徒文集「うれ柿」の第一号(四九年発行)も紹介され、卒業生らには懐かしさを覚える展示内容となりそうだ。
史料館は、郷土の文化財や歴史を後世に伝えるため、地元住民と柿生中が連携して同校一階に二〇一〇年に設けた。地元住民ら有志約三十人が支援委員として管理・運営し、そのうち元教員や元出版編集者ら七人が展示解説のできる専門委員を務めている。
専門委の一人で元高校社会科教諭の小林基男さん(74)は「旧制中学に通うことができた生徒は、尋常小学校を卒業した男子のうち10%に満たない、選ばれた者だった。庶民に禁じられた英語を学ぶ教科書を見ると、エリートはやはり特別な存在だったと分かって、面白い」と解説。来場を呼び掛けるとともに、さらに当時の教科書をそろえたいと提供を求めている。
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柿生中の住所は、麻生区上麻生六の四〇の一。展示の日程は十月二十九日から来年一月二十二日までの偶数月の土曜日、奇数月の日曜日(十二月二十四、三十一日、一月一日を除く)の午前十時から午後三時。入場無料。問い合わせは柿生郷土史料館=電070(1503)6401=へ。