草津町・ハンセン病療養所 重監房死者の義妹が鎮魂の絵画展:群馬 - 東京新聞(2016年8月4日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/list/201608/CK2016080402000166.html
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草津町国立ハンセン病療養所「栗生(くりう)楽泉園」で、戦前から終戦後にかけて患者たちが監禁された懲罰施設「重監房」。この重監房で亡くなった男性の義妹が、鎮魂や差別への思いなどを込めて描いた絵画の初めての展示会が十月下旬、前橋市富士見町の画廊「アートミュージアム赤城」で開かれる。義妹と夫は「兄が亡くなった群馬で開く絵画展が供養になってほしい」と願っている。 (菅原洋)
この夫妻は国立ハンセン病療養所「多磨全生園」(東京都東村山市)に入所する元患者で、園内で結ばれた鈴村清さん(76)と洋子さん(80)。
清さんの兄は一九四二(昭和十七)年、十四歳の時に楽泉園に入所したが、園外へ脱走。四四年、住んでいた市内で発生した女性の刺殺事件で、容疑者として重監房に入れられた。
重監房にはそれぞれ理不尽な理由で患者のべ九十三人が収容され、真冬は氷点下二〇度近くになる室内で粗末な食事しか与えられず、二十三人が死亡したとされる。
当時、楽泉園関係者が重監房にいた兄に事件について問いただすと、「そんなことはやってない」と強く否認。以前、園で兄と同室だった元患者も「(兄は病により)手が悪く、凶器を握ることができなかったはず」と証言したという。
兄は四六年、極寒の一月に十八歳の若さでやせ細った姿で力尽きた。清さんは「苦しんだ末、若くして亡くなり、無念だったろう。兄は冤罪(えんざい)と信じている」と語気を強める。清さんが園外に向けて兄が重監房にいた事実を語るのは初めて。
一方、洋子さんは小学生の時から病で手が不自由となったが、周囲の子どもたちによるいじめや仲間外れの悲しみから気を紛らわせるため、絵を描くのが好きだったという。
画題は洋子さんが「心が癒やされる」という地蔵、和やかな動物や人など。絵の中に「苦しみ、悲しみを乗り越えて」などのメッセージも添えている。不自由な手に渾身(こんしん)の力を込め、多数の水彩画や絵はがきなどを描いてきた。
洋子さんは「結婚後に夫の兄が重監房で亡くなったと知ってからは、兄を思いながら地蔵の絵を描くようになった」と振り返った。
絵画展は夫妻の支援者で、楽泉園などで活動している前橋市の吉田一蓮(いちれん)さん(73)が県内での開催を企画。ギャラリーの運営経験がある吉田さんは「鑑賞する人にこびない視点と、鮮やかな色彩にセンスがある。メッセージは心の叫びだ。絵画展は支援者としての自分の集大成であり、差別撤廃への一助にしたい」と準備に取り組んでいる。
絵画展は十月二十〜二十五日。入場は無料。七十枚程度の原画や複製を展示する見通し。問い合わせは、吉田さん方=電027(285)6131=へ。