(筆洗)相模原市緑区の障害者施設が襲撃された事件 - 東京新聞(2016年7月27日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016072702000141.html
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「灰色のバス」(グラウエンブッセ)。その大型バスはそう呼ばれた。車体は灰色一色。窓には白い板。その不気味なバスに乗れば二度と元の場所には帰れない。
バスが使われたのはナチス政権下のドイツである。「T4作戦」。障害者を価値のない生命、社会、民族への負担と見なし命を奪った。犠牲者は少なくとも約二十四万人。「灰色のバス」は、障害者を殺害場所へと送る「死のバス」だった。
障害者が殺された後、遺族にはこんな手紙が送られてきたそうだ。<患者は生の苦しみに満ちていました。死は幸ある解放と受け止められるのがよろしいでしょう>。歴史の狂気である。
なぜ容疑者は「灰色のバス」のハンドルを握ってしまったのか。相模原市緑区の障害者施設が襲撃された事件である。十九人の大切な命が奪われた。
戦慄(せんりつ)するのは犠牲者数ばかりではない。「障害者なんていなくなればいい」。その思い上がった供述である。いなくなればいい命なぞ一つとしてない。衆院議長に宛てた手紙には「障害者は不幸をつくることしかできません」と、ある。冗談ではない。
容疑者は施設の元職員だった。だとすれば、障害者の生活の中に命の重さを感じる場面もあっただろう。世話をする家族の温かさも目撃したはずである。その幸福の光景をなぜ忘れて、「いなくなれば」のバスを運転したのか。それがくやしい。