(筆洗)伊勢志摩サミット迫る、この時期に「シェルパ」と聞けば - 東京新聞(2016年5月18日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016051802000143.html
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伊勢志摩サミット迫る、この時期に「シェルパ」と聞けば、連想するのは首脳会合を成功に導くための「シェルパ会合」である。
サミット(頂上)での合意を目指すから登山で道案内人を意味する「シェルパ」の名を使っている。肩肘張った政治外交の世界にしては、なかなかしゃれた呼び名である。
もともとはエベレストの麓近くに住むネパール少数民族の名。高地での適応力の高さからポーターや案内人としてヒマラヤ登山には欠かせぬ人びとである。日本でもよく知られる歴史的シェルパといえば、テンジン・ノルゲイが挙がるだろう。一九五三年五月、ニュージーランドの登山家エドモンド・ヒラリーとともにエベレスト初登頂に成功した。
「父が登山の現状を見たら、がっかりするだろう」。ノルゲイの息子テンジン・ノルブさんが危険なシェルパの現状を最近の米メディアとのインタビューで語っている。
貧しい地域である。低賃金で難所へ送り込まれる上、死亡しても十分な補償はない。最近は重いエスプレッソマシンやテレビセットまで運搬させる贅沢(ぜいたく)な登山者もいるそうである。危険は高まる。
二人で同時に山頂に立ったエベレスト初登頂はヒラリーとノルゲイの友情の物語でもあったが、息子さんの訴えは、貧しき「使用人」の物語である。世界の貧困と格差。当然、伊勢志摩の「頂上」でも考えるべきである。