安全保障法制の施行 「違憲」の法制、正す論戦を - 朝日新聞(2016年3月29日)

http://www.asahi.com/paper/editorial.html?iref=comtop_pickup_p
http://megalodon.jp/2016-0329-0916-41/www.asahi.com/paper/editorial.html?iref=comtop_pickup_p

新たな安全保障法制がきょう施行された。
昨年9月、多くの市民の不安と反対、そして憲法専門家らの「違憲」批判を押し切って安倍政権が強行成立させた法制が、効力を持つことになる。
11本の法案を2本にまとめた法制には、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認、米軍など他国軍への兵站(へいたん)(後方支援)、国連平和維持活動(PKO)の任務拡大など、幅広い自衛隊の海外活動が含まれる。
安倍政権はこれだけ広範な法制を、わずか1会期の国会審議で成立させた。背景に、首相自身が昨年4月に訪米中の議会演説で「(法案を)夏までに成就させる」と約束した対米公約があった、との見方が強い。
法制の成立後、首相は「これから粘り強く説明を行っていきたい」と語ったが、実行されていない。その後の国会審議も十分とは到底言えない。
■投網をかけるように
憲法が権力を縛る立憲主義の危機である。この異常事態を放置することはできない。
幅広い国民の合意を欠く「違憲」法制は正さねばならない。法制の中身を仕分けし、少なくとも違憲の部分は廃止する必要がある。国会、とりわけ野党が果たすべき役割は大きい。
安倍政権は、集団的自衛権の行使容認は限定的で、だから合憲だと説明してきた。
一方で、政府の裁量をできるだけ広く残そうと、「限定」の幅についてあいまいな国会答弁を繰り返してきた。時の政権の判断で、いかようにも解釈できる余地が残されている。
集団的自衛権を容認した眼目は、中国にいかに対抗し、抑止力を高めるかにある。
米軍をアジア太平洋地域に引き留め、そのパワーが相対的に低下しつつある分は、自衛隊の強化や地域諸国との連携によって補う。そんな考え方だ。
米軍との共同行動に支障を来さないよう、投網をかけるように幅広く、海外で自衛隊が動けるようにしておく。有事だけでなく平時から米軍など他国軍との共同訓練や情報共有、装備面での連携が進むことになる。
■9条を対話の基盤に
問題は、そのために自衛隊の海外活動に一定の歯止めをかけてきた「9条の縛り」を緩めてしまったことだ。
2月末、アーミテージ元国務副長官ら日米の有識者らによる日米安全保障研究会が「2030年までの日米同盟」という報告書をまとめた。
日米の対中戦略の共有が不可欠だと強調し、「十分な予算に支えられた軍事力」「アジアやより広い地域で日米の政策、行動を可能ならば統合する」ことを日本に求めた。防衛予算の拡大をはじめ、あらゆる面で日米の一体化をめざす方向だ。
だが、中国との関係に限らず、米国の利益と日本の利益は必ずしも一致しない。
時に誤った戦争に踏み込む米国の強い要請を断れるのか。集団的自衛権の行使について、首相は「(日本が)主体的に判断する」と答弁したが、9条という防波堤が揺らぐ今、本当にできるのか。
留意すべきは、米国自身、中国を警戒しながらも重層的な対話のパイプ作りに腐心していることだ。日本も自らの平和を守るためには、中国との緊密な対話と幅広い協力が欠かせない。
それなのに日本は日米同盟の強化に傾斜し、日中関係の人的基盤は細るばかりだ。中国に近い地理的な特性や歴史の複雑さを思えば、その関係はより微妙なかじ取りが求められる。
米国の軍事行動とは一線を画し、専守防衛を貫くことで軍拡競争を避ける。憲法9条の機能こそ、抑止と対話の均衡を保つための基盤となる。
■問われる国会の役割
夏に参院選がある。衆参同日選の可能性も指摘されている。
そんななか安倍政権は、平時の米艦防護やPKOに派遣する自衛隊の「駆けつけ警護」、米軍への兵站を拡大する日米物品役務相互提供協定(ACSA)改定案の国会提出など、安保法制にもとづく新たな動きを参院選後に先送りしている。
選挙前は「経済」を掲げ、選挙が終われば「安保」にかじを切る。特定秘密保護法も安保法制も同じパターンだった。
政権は今回も、選挙に勝てば一気に進めようとするだろう。
安倍政権は特定秘密保護法国家安全保障会議(NSC)の創設など、政府への権限を集中させる外交・安保施策を次々と打ち出してきた。
だからこそ、国会のチェック機能が重要なのに、肝心の国会が心もとない。野党が共同で提出した安保法制の廃止法案や対案を審議すらしない現状が、国会の機能不全を物語る。
野党の使命は極めて重い。政党間の選挙協力を着実に進め、市民との連帯を広げる。立憲主義を守り、「違憲」の法制を正す。それは、日本の政治のあり方を問い直す議論でもある。