殺人事件で特別法廷「公平性疑問」 栗生楽泉園で66年前:群馬 - 東京新聞(2016年2月18日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/list/201602/CK2016021802000207.html
http://megalodon.jp/2016-0218-1058-39/www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/list/201602/CK2016021802000207.html

最高裁判所が戦後にハンセン病患者らを裁判所ではなく、強制隔離された療養所などで裁いた「特別法廷」の問題を検証する中、草津町の国立療養所「栗生(くりう)楽泉園」で、一九五〇年に入所者三人が殺害された事件とその特別法廷の概要が分かった。入所者十四人が書類送検され、三人を起訴、一、二審とも園内で開廷していたとされる。公判では、証人の別の入所者が裁判の公平性に疑問があると訴えていた。 (菅原洋)
最高裁は元患者たちから裁判の非公開性や差別の歴史の検証などを求める要望を受け、昨年九月から有識者五人による委員会を開き、今年一月下旬に委員たちが楽泉園を訪問した。園内では、三事件で四件の特別法廷が開かれ、五〇年の事件が唯一の殺人だった。
楽泉園入所者自治会の五十年史や、日弁連法務研究財団と厚生労働省などの資料を総合すると、事件は五〇年一月十六日深夜から十七日未明にかけて発生。以前からの入所者たちの集団が、対立していた新しい入所者三人をスコップで乱打するなどして殺害したとされる。
殺人罪などで入所者十四人が書類送検され、起訴された三人が同年六、七月に旧栗生会館・中央公会堂(現青年会館)に開廷した特別法廷で裁かれた。裁判官は前橋地裁の三人、検察官は一人、国選弁護人が三人だった。
公判で証人の入所者は「私たちは憲法で生命を保護されているにもかかわらず、事実は守られず、こうして裁かれる矛盾があると思う。これは運用の欠陥、制度の不備だと思う」と訴えたという。
検察官は被告三人に懲役五年を求刑し、同年八月に三人とも懲役二年の判決があった。ただ、被害者のうち一人については、三人とも殺人罪では無罪とした。
被告三人は即日、東京高裁に控訴。五一年五月に再度園内で開廷した特別法廷では、一審判決が破棄され、三人とも懲役二年、執行猶予四年の判決となり、確定したとされる。
元患者の岸従一(よりいち)さん(76)によると、事件発生時は十代前半で、「危険だから、部屋から出ないように」と呼び掛ける園内放送が流れた記憶があるという。
岸さんは「裁判所は県内にあるのに、園内で秘密裏に開くとはひどい裁判だ。公平性があるとは思えず、被告の入所者に対する差別だった」と振り返った。
園内にある重監房資料館の北原誠主任学芸員は「(戦前などに入所者の懲罰施設だった)重監房に入れられた入所者たちは、裁判すら受けられなかった。裁判所は戦後に入所者も国民と同じように裁く姿勢を示すため、特別法廷を開いたのではないか。当時はそれで許された時代だったと思う」と指摘した。
<特別法廷> 裁判所は災害で施設が使えなくなった場合などに外部で開廷できる。この規定を準用し、1948〜72年に全国の療養所などで95件の特別法廷が開かれた。
52年に熊本県で発生した殺人事件の特別法廷では、裁判官、検察官、弁護士は白衣を着て手袋をはめ、証拠品などを道具でつまんだという。冤罪(えんざい)を訴えていた患者は死刑判決を受け、執行された。ハンセン病の発病力は極めて弱く、通常の生活で感染することはない。