家族と法と最高裁 時代に合わせ柔軟に - 東京新聞(2015年12月17日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015121702000131.html
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夫婦別姓と女性の再婚禁止期間をめぐって最高裁の初判断が出た。社会事象への考え方が多様化する中で、時代に合わせた立法が必要といえよう。
結婚のとき、じゃんけんで姓を決めたと聞いて問い合わせると事実は違った。日本ユニセフ協会会長の赤松良子さんの場合である。
「二人で話し合った結果、戸籍上は私の名字にすることに決めました。夫は旧姓をペンネームとして使っていました」
赤松さんは旧労働省の局長時代に男女雇用機会均等法を制定する中核役を果たした人だ。文相を務めたこともある。姓をどうするかは、話し合いで決められる。
夫婦別姓の議論深めて
じゃんけんでも決められる。民法では「夫か妻の姓を名乗る」と定められているだけで、夫の姓を強制されるわけではない。この規定だけでは男女差別とはいえまい。夫婦別姓を求めた今回の裁判で、最高裁大法廷は「家族は社会の基礎的な集団単位で呼称を一つに定めることは合理性がある」とし、民法の規定は「合憲」との立場をとった。
問題なのは、どちらかの姓を強制されてしまう点だ。96%が「夫の姓」を選んでいる。女性が「自分の姓で生きたい」という願いを持った場合、法律婚は事実上、無理で、届け出をしない事実婚を選ばざるを得ない。
だが、事実婚では、税法上の扶養家族になれず、配偶者控除などの適用外となる。相続の場合にも難しい立場に置かれる。経済的に負担となるのだ。
だから、夫の姓を選んだ上で、旧姓を通称として使ったりする。会社など勤め先でも、それを認めるケースは増えた。ただし、その場合でも、新規につくる銀行口座や健康保険証、運転免許証などでは通称は使えない。差別的だと考えるのも理解できる。議論を進めねばならないテーマだ。
◆再婚禁止そのものは?
姓名とは個人を他人と区別する識別標であるには違いない。個人の人格の象徴としてみれば、人格権の一要素をなしているのだろう。姓を個人の意思に反して奪うとなれば、利益を失うこともある。海外でも夫婦同姓を義務づける国は、今ではほとんどない。
法制審議会が一九九六年に希望すれば各自の姓を名乗れる「選択的夫婦別姓制度」を答申したのも、そうした背景がある。冒頭の赤松さんは「私は女性が長く職業を続けることが大事だと思っています」と語っている。
「結婚したら、どちらかが名前を変えなければいけないというのは、仕事を続ける上で迷惑なことと思います。夫婦同姓にしたり、別姓にしたり、選べるようにしたらよいのではないでしょうか。民法で姓を変えることを強制しないでほしい」
明治民法では「家制度」が根幹にあった。夫の姓が当たり前の時代だった。「家族の一体感が失われる」などの意見は、この発想の延長線上にあるのかもしれない。だが、今や社会はグローバル化し、価値観も多様化している。選択的夫婦別姓など二十一世紀にふさわしい制度を立法府は早く構築すべきであろう。
女性の再婚期間の禁止規定についても同じことがいえる。最高裁が「百日超の禁止は違憲」としたのも、半年間が長すぎるからだ。
再婚禁止制度は古代ローマ法にその起源があるとされる。夫が亡くなったとき、服喪期間という意味があった。明治民法においては「血統の混乱を避ける」という意図があったらしい。
妊娠の事実を知らずに再婚することがありうるので、医師でなくとも妊娠の有無がわかる「半年間」という制限を戦後の民法も、そのまま踏襲していた。
今回、再婚禁止を「百日」としたのは、父親を推定する民法規定と関係する。「離婚後三百日以内に生まれた子は前夫の子」「婚姻後二百日後に生まれた子は現夫の子」とする二つの定めがあり、重複するのを避けたのだ。
むしろ立法府で議論すべきなのは、再婚禁止の規定そのものをなくすかどうかだ。確かに規定には、子どもの父が誰かをめぐる紛争を未然に防ぐ意味はあろう。だが、例えば離婚時に妊娠していないことを証明するなど、その代替機能を担える方法はある。世界的には再婚禁止期間を設けない国が多くなっている。
◆子どもの視点も必要だ
地球規模で性差別の撤廃をめざす大潮流がある。日本でも女性の活躍が大きな政策課題だ。最高裁違憲判決によって、民法は改正せざるを得なくなる。その際には、女性はむろん、子どもの利益に立った発想が必要である。
法律は生きている。人々のいとなみと合致するよう柔軟な手直しが求められる。