(余録)婦女、人に嫁するも、なお所生の氏を用ゆ… - 毎日新聞(2015年12月17日)

http://mainichi.jp/articles/20151217/k00/00m/070/164000c
http://megalodon.jp/2015-1217-1052-09/mainichi.jp/articles/20151217/k00/00m/070/164000c

「婦女、人に嫁(か)するも、なお所生の氏(うじ)を用ゆべき事。但し夫の家を相続したる上は、夫家の氏を称すべき事」。妻は実家の名字を名乗れというわけで、1876(明治9)年の太政官布達(だじょうかんふたつ)である。今ふうに言えば「夫婦別姓」の命令だった。
その前年に名字を名乗るのを義務化したのに伴う通達である。明治政府はこれに先立つ戸籍作成では家族に同じ名字を求めるなど、大いに混乱した。結局、夫婦が同じ「家」の名字を称する規定が決まったのは、1898(明治31)年公布の明治民法によってだった。
さて夫婦の合意でいずれかの名字は選べるが、やはり同一の名字でなければならないという戦後民法である。これについては19年前に夫婦で別名字を選ぶことができるようにする法改正を法制審議会が答申している。その改正が足踏みするなかでの最高裁判決だった。
実際は今も妻が夫の名字に改姓するケースが大半である。その現実をふまえ、夫婦別姓を認めない現行法は憲法に反するという原告の訴えだった。しかし、最高裁はこれを「合憲」とし、名字変更に伴う不利益は旧姓の通称使用などで緩和できるという判断を下した。
だが通称の使用が広がる現状こそが、女性を取り巻く現実と法のギャップを示していよう。不利益をこうむるのが少数派ならばこそ、その権利のために求められた憲法判断だった。15人中5人の裁判官は「違憲」の少数意見を示したが、論議は結局立法府に戻された。
「女性が輝く日本」が看板の安倍政権だが、輝くのは通称で十分と考えているのか。たなざらしの法制審答申に政治がまっとうな論議で応える時である。