(筆洗)野坂昭如さんが、空襲と妹を餓死させた少年時代の体験 - 東京新聞(2015年12月11日)


http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2015121102000157.html
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野坂昭如さんが、空襲と妹を餓死させた少年時代の体験を基に書いた小説『火垂(ほた)るの墓』。この名作の抜粋を読み、作者の心境を記せ−。野坂さんの娘さんが、学校でそんな課題を出されたことがあったという。
当然ながら娘さんは、父に「正解」を尋ねた。答えは、「あれはまあ、締め切りに追われて、後先なく、書いたんだけどね、特に心境といわれても」。さすがに、奥さんに「もう少し何とかいいようがあるでしょ」と怒られたそうだ。
野坂さんに言わせると、かの名作は「徹頭徹尾自己弁護の小説」なのだという。小説の「兄」は飢えて死にゆく妹のため、自分の指を切って血を飲ませるか肉を食べさせようかとまで考える。しかし、現実の自分は、かみ砕いて妹に与えるつもりの食べ物を、ついのみ込んでしまっていた。
そうして妹が死に、その体を抱き運んだときの思いなど、自分でもとらえがたい。そういう思いは、他人に百分の一も伝えられず、言葉にしたとたん、自己弁護や美化がまじってしまうもの。他人に思いを伝えるというのは、そういう厳しい営みなのだと(『忘れてはイケナイ物語り』光文社)
野坂さんは『火垂るの墓』を読み返さず、映画化されヒットしても、悲しくなるからと、終わりまで見ることができなかったという。
八十五歳で逝った作家が言葉にし尽くせなかった「思い」を、思う。