戦争が家族引き裂いた 海老名香葉子さん 足立で講演 - 東京新聞(2015年12月9日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201512/CK2015120902000163.html
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東京大空襲で家族六人を失ったエッセイストの海老名香葉子さん(82)=台東区在住=が八日、足立区の西新井文化ホールで講演し、自らの戦争体験を語った。太平洋戦争の開戦から七十四年。海老名さんは「戦争を二度と繰り返してはいけません」と切々と訴えた。 (松尾博史)
海老名さんは、本所(現在の墨田区)で生まれ育った。父親は釣りざおを作る職人。戦況が悪化し、国民学校五年生のとき、両親らと別れ、静岡県沼津市の親戚宅に疎開。別れ際に母親は「香葉子は明るく、元気で強い子だから大丈夫。笑顔でいると、大勢友だちができるから、いつも笑顔でいて」と励ましてくれた。
東京の下町が焼け尽くされた一九四五年三月十日未明、沼津の山から東京方面を見ると夜空の一部が赤く染まっていた。「どうか、みんなを助けてください」と祈り続けたが、後日、生き延びた兄から両親と兄弟三人、祖母が犠牲になったことを知らされた。遺体は見つからなかった。
戦後、東京の親戚宅に身を寄せたが、つらくあたられた。「戦争は怖い。人の心まで変えてしまう」。水くみや手伝いに追われ、食べ物を手に入れるために郊外の農家まで足を運んだ。学校に通える同年代がうらやましかった。
「両親は行方不明のままどこかで生きているのではないかと、この歳(とし)になっても思う。七十年間、そう思い続けてきた」。海老名さんは優しかった両親との日々を懐かしむように無事を願い続けてきた心情を吐露し、こう語りかけた。「いろんな国の人たちと手を握り合って仲良くしていけば戦争は起こらないのではないか。そんな思いで、これから生きていこうと思う」
講演会は、人権週間(四〜十日)の行事の一環として、足立区などが主催。戦後七十年の節目の年であることから海老名さんを講師に招き、約七百五十人が聴講した。