基地拡張拒んだ…砂川闘争60年 闘い 次世代つなぎたい - 東京新聞(2015年11月4日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201511/CK2015110402000240.html
http://megalodon.jp/2015-1105-0921-33/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201511/CK2015110402000240.html

米軍立川基地(東京都立川市)の滑走路拡張計画を住民が阻んだ「砂川闘争」が始まってから六十年の今年、闘争の過程で起きた砂川事件最高裁判決「砂川判決」が、安倍晋三首相ら政府首脳の口から度々出たことで、砂川闘争にあらためて注目が集まっている。立川市では五日、闘争を振り返る集会が開かれる。当事者たちは、闘いの意義を今にどう生かし、次の世代につなぐか模索している。 (萩原誠
「米軍に平穏な生活を脅かす権利はない」
米軍横田基地福生市)から西に約三百メートルの市民会館で十月十日に開かれた市民集会。墜落事故が相次ぐ垂直離着陸輸送機CV22オスプレイ横田基地配備の撤回を求めシュプレヒコールを上げる人たちの中に、土屋源太郎さん(81)=静岡市=の姿があった。
土屋さんは砂川事件の元被告。明治大生だった五七年、基地内に侵入し、逮捕、起訴された。一審の東京地裁は米軍駐留を憲法違反として無罪としたが、差し戻し審で有罪になった。
東京地裁判決(伊達判決)を破棄した最高裁判決が集団的自衛権の根拠にされ、政府の安全保障関連法が今年、成立した。「全く許されない」と怒る土屋さんだが、「砂川闘争を広く知ってもらういい機会」とも。国会前に集まった若者らに希望を感じた。「平和への危機感や憲法を守ろうという思いから個々で参加している。組織的に動員した面もある六〇年安保より内容の濃い声だ」
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広々とした運動場や野球場などが、立川市陸上自衛隊駐屯地の北側に点在している。これらは国有地。九七年に市が借りて暫定利用している。かつて米軍基地の滑走路拡張のため、日本政府が買収し、畑や住宅をつぶした名残だ。
その近くに、平屋の建物「砂川平和ひろば」がある。反対農家の一人で、「砂川町基地拡張反対同盟」の副行動隊長だった故宮岡政雄さんが立ち退きを拒み、死守した土地だ。次女の福島京子さん(65)が二〇一〇年に、「ひろば」を開設し、当時の写真などを展示している。
闘争のさなかに掲げられた反対同盟の旗も飾っている。自宅にしまっていたが、〇五年、父の著書「砂川闘争の記録」を再刊し、記念パーティーで飾ろうと広げてがくぜんとした。赤地に白い鳩(はと)を描いた旗はあちこち穴があり、福島さんには平和が朽ちていく象徴のように思えた。
「平和の思いは、しまっていては駄目」。一昨年から砂川闘争に興味を持った大学生らとの交流も始めた。
大学を今年卒業した会社員、須江彩花さん(23)=川崎市=は福島さんの案内で闘争現場の跡地を訪れ「平和は自分で守らなければ、との意識がぐっと強くなった」と感じた。「安倍首相や違う立場の人たちに思いが響き、議論できるような伝え方をしていきたい」
砂川闘争のデモ隊に参加した元立川市議の島田清作さん(77)は、立川市で五日開かれる集会の発起人の一人。各地で闘争を語り継ぐ講演会を続けている。「ただ六十年を回顧するのではなく、闘争の精神を今の安全保障法制の廃止、沖縄基地問題の解決に結び付けたい」
◆立川であす 講演・討論会
五日の集会「わたしたちに基地も戦争もいらない! 砂川闘争六十周年のつどい」は、東京都立川市民会館「たましんRISURUホール」で開かれる。政治評論家の森田実さんや地元住民ら闘争に参加した人々が講演や討論を行う。午後六時半開演、参加費千円。午後一時からロビーで写真や絵画の展示(無料)、同四時からは大ホールで記録映画「流血の記録・砂川」の上映(無料)もある。問い合わせは実行委員会事務局次長の小林光さん=電090(8963)9077=へ。
<砂川闘争> 旧米軍立川基地の滑走路拡張計画への反対運動。1955年5月、国が東京都砂川町(現立川市)の町長に滑走路の拡張計画を伝えた。住民らは砂川町基地拡張反対同盟を結成し、町議会も反対を決議。町ぐるみの反対運動に発展した。56年10月、測量強行で警官隊と住民側が衝突。負傷者が1000人を超え、「流血の砂川」と呼ばれた。その後も、住民、支援する労組員、学生らが再三衝突。米軍は68年12月に拡張中止を発表。69年に立川基地の部隊が横田基地に移転した。跡地は77年に日本に全面返還された。