(にっぽんの現在地)戦争するということ この夏、「野火」を公開した映画監督・塚本晋也さん - 朝日新聞(2015年9月17日)

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――クロかシロどころか、「野火」の日本兵は、誰と、どこで、何のために戦っているのかすらよくわかりません。
「敵を一切映しませんでしたからね。仮に予算が潤沢だったとしても、敵を描くつもりは最初からなくて、米兵が映るのは、死にゆく日本兵にたばこをあげるとか、いいことをしているシーンにとどめました。敵を撮れば、どうしたって被害者感情が喚起され、憎悪が生まれます。だけど僕は、この映画ではそれをしたくなかった。弾は戦場にいる敵から飛んできているのか? 戦争をすると決めた人から飛んできていて、僕らはいつもそれにやられているのではないか。そんな思いを込めて、弾は闇の向こうから突然降ってくるという表現にしました」
「敵を仕立て、それを怪物のように描き、これだけ被害を受けたのだから仕方がない、大切なものを守るために名誉をかけて闘う、そして苦戦の末に勝利する。そういうハリウッド映画が、子どものころから大嫌いでした。敵もただの人間なのに、悪魔化するのはおかしい。だけど、現在の日本の政治の論法は、ハリウッド映画と同じ構造ですね。仮想敵を作って、あいつが悪い、あいつは怖い、だから抑止力を高め、戦いに備えなければならないと」