「この無惨、惨状、戦争は絶対いけない」 山崎豊子さん戦時下の日記 - 東京新聞(2015年7月13日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015071302000053.html
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白い巨塔」「沈まぬ太陽」などで知られ一昨年、八十九歳で亡くなった作家の山崎豊子さんが、二十歳から二十一歳にかけてつけていた日記が堺市の旧宅で見つかった。太平洋戦争末期の一九四五年一月一日から約三カ月間の記録で、大阪大空襲の体験から「戦争は絶対いけないものだ」と書き、作家になる前の淡い恋もつづっている。 (中村陽子)
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大阪大空襲があった三月十三日からの日記には<忘れることの出来(でき)ない日>として自宅が焼失した様子を生々しく書き残してある。
近くに焼夷(しょうい)弾が落とされ<もうここで遂(つい)にむしやきか>と観念しながらも、母をはげましながら火の海となった御堂筋を逃げる。しかし、自宅は焼失。一帯の焼け野原を見ながら<この無惨(むざん)、惨状、戦争は絶対いけないものだ。人類の不幸は戦争から始まるものだ><私の胸から一生忘れられない焼印だ>と実感を込める。
数日後、安否の分からなくなっていた弟を捜しに行き<まさかと思っていた弟達にめぐりあえた時の幸福さには思わず声をあげて泣いた>とある。
また、これまで知られていなかった恋の話も記されていた。相手のことを「N」というイニシャルにし、彼が出征してしまう前に<何とかしてもう一度会いたい>などと心の内を吐露している。