週のはじめに考える わが街に爆弾は降った

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015062802000126.html
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空が戦争の舞台になったのは二十世紀。太平洋戦争では、日本の街にも爆弾が降りました。空襲に苦しむのは市民。それは二十一世紀も変わりません。
太平洋戦争末期の一九四五年八月二日に米軍が岐阜県高山市上空で散布した伝単(でんたん)、つまり空襲予告ビラが、名古屋市にある民営の資料館「ピースあいち」に展示されています。このように日本語で書かれています。
◆空襲予告ビラも降る
「数日の内に裏面の都市の内全部若(もし)くは若干の都市にある軍事施設を米空軍は爆撃します。この都市には軍事施設や軍需品を製造する工場があります。軍部がこの勝目のない戦争を長引かせる為に使ふ兵器を米空軍は全部破壊しますけれども爆弾には眼(め)がありませんからどこに落ちるか分(わか)りません。御承知の様に人道主義アメリカは罪のない人達を傷つけたくはありません。ですから裏に書いてある都市から避難して下さい…」
裏面には高山、佐賀、浦和など十二の都市名があります。そのうち高山と鳥取を除く十都市が予告通り空爆されました。
目のない爆弾の都市への投下が人道主義であるはずはありませんが、その延長線上で、米軍は広島、長崎を原爆で破壊することになります。無差別爆撃の思想が行き着く果ての姿です。
人道主義の言い訳のような予告ではありますが、市民はなぜ、逃れることができなかったのか。
早稲田大の水島朝穂教授(憲法学)と大阪空襲訴訟の大前治弁護士の共著『検証防空法』(法律文化社)は、その一例として、青森空襲の経緯を追跡しています。
米軍機が青森市上空で伝単の散布を始めたのは四五年七月二十日ごろでした。市民は次々郊外へ避難しましたが、当時の県知事と市長は、退去を禁じて消火活動などを義務付けた防空法に基づき「二十八日までに青森市に帰らないと町会台帳から削除し、物資配給を停止する」との通告を発し、避難した市民を引き戻しています。
米軍機が焼夷(しょうい)弾で青森の街を焼き払ったのはその二十八日夜。七百人を超す市民が死亡しました。「逃げるな」と命ずる防空法は何を守ろうとしたのでしょう。
◆戦傷市民に補償なし
太平洋戦争の空襲被害は四十七都道府県すべてに及び、犠牲になった非戦闘員は五十万人以上といわれます。国から恩給が支給される旧軍人・旧軍属やその遺族とは異なり、民間の空襲被害者には何の補償もありません。
戦傷市民は名古屋、東京、大阪で国を相手に訴訟を起こしましたが、すべて敗訴に終わりました。
先行した名古屋空襲訴訟で最高裁が示した考え方が「受忍論」です。国家の非常事態で皆が被害を受けたのだから、被害は等しく我慢すべきだ、としたのです。
では、立法措置で救済することはできないのか。
名古屋空襲で左目を失った杉山千佐子さんが「全国戦災傷害者連絡会」を組織し、国会への働き掛けを始めたのは七二年。議員立法を目指した戦時災害援護法案は八九年までに何と十四回も廃案になりました。政府は「民間人は国と雇用関係がなかった」と、援護法での救済を拒み続けました。
二〇一一年には超党派議員連盟が発足し、新たに空襲被害者援護法案の骨格を固めました。しかし、その後の選挙で関係議員が相次いで落選し、法案提出の見通しが立たなくなってしまいました。
戦後七十年を数え、被害者の高齢化は進む。名古屋市など民間戦傷者への見舞金制度を設けた自治体はありますが、国は、このまま時間切れを待つのでしょうか。
救済運動の先頭に立ってきた杉山さんは今年、百歳です。
◆日本も仕掛けた空襲
無論、被害ばかりに目を奪われるわけにはいかない。日本は、空襲を仕掛けた側でもあります。
三八年から四三年まで、日本は中国四川省重慶と近郊都市への空爆を繰り返しました。重慶爆撃です。死者一万人以上、倒壊家屋一万五千棟といわれます。無差別爆撃以外の何物でもありません。
ライト兄弟の初飛行は一九〇三年。イタリア軍機が初めて空から爆弾を投下したのは一一年。人類は、飛行機の発明からわずか八年で空襲を始めたわけです。
空襲は、前線と銃後の境界線をなくし、市民を傷つけます。第一次大戦13%。第二次大戦70%、ベトナム戦争90%…。全死者に占める非戦闘員の割合の増え方が、空襲とは何かを物語ります。
過去の話ではありません。今は無人機が街を爆撃します。機上に人はいなくなっても、攻撃される街では今も変わらず、市民が暮らしているはずです。
市民はいつまで、犠牲にならなくてはならないのでしょうか。