あすへのとびら 憲法と「国のかたち」 決めるのは私たち国民だ - 信濃毎日新聞(2015年4月12日)

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「国のかたち」という言葉を頻繁に耳にする。政治家や識者らがよく使うこともあり、定着してきた。
「国の理想、かたちを物語るのは憲法
安倍晋三首相は第1次政権の2006年、国会でこう語った。
12年暮れに政権の座に返り咲いた首相は、1次政権でできなかった「国のかたち」を変える作業に本腰を入れている。
来年夏の参院選に勝利し、17年の通常国会憲法改定を発議、国民投票を実施するスケジュールを描いているとされる。

<個人より公の自民案>
首相は敗戦で失われた日本の誇りを取り戻すため、今の憲法を変えるしかないと考えているように思える。注意しなくてはならないのは、国民の権利を脇の方へ追いやっていることだ。
権利に関する憲法13条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と規定する。
自民党改憲草案はこうなる。
「全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない」
「個人」を「人」に、権利の制限条件は「公共の福祉」から「公益及び公の秩序」に書き換えた。党が決めた改憲重要項目の一つに位置付けられている。
憲法学が専門で神戸大名誉教授の浦部法穂さんは、13条の冒頭に明記された「個人の尊重」が憲法の根幹と考える。「憲法の三大原則である国民主権、平和主義、人権尊重はそこから伸びた太い枝といっていい」と話す。
長年、学生に憲法を教えてきたが、13条の重要性を再認識したのは20年前の阪神大震災だった。教え子が犠牲になった。その追悼の場でのこと。救助に行って助けられなかった友人が、「周囲の人は彼の分まで生きろと励ましてくれるけれど、彼の代わりにはなれない」と語ったのだ。
個人はただ一人の人間でなく、ほかの誰とも代わることができない存在―。浦部さんは個人という言葉の重みを実感した。
「個人として尊重されるということは、一人一人に固有の価値があるとの認識の上に、互いに認め合うこと。軍隊とか戦争では、個人という概念は邪魔になる。平和主義を維持するためにも重要な原理」と説明する。
仮に自民の草案通りに改憲されたらどうなるか。
浦部さんが危惧するのは「公」の意味の曖昧さだ。古くは天皇や朝廷、国家などを意味し、権力性を帯びた言葉だった。今は「公共」の概念まで含まれる。
「草案は個人より国家を重視しており、復古的な面がある。権力側の都合や利益によって国民の自由、権利の制限が強められるようになるかもしれない」
安倍政権が目指す「国のかたち」は、ひと言で言えば「強い国」のようだ。今後、論議が本格化する集団的自衛権の行使を含む安全保障法制については「国民の命と幸せな暮らしを守るため」との理由を付けている。
国民の安全のためには、権利が一時的に制限されるのは仕方ないと考える人もいるだろう。
「国のかたち」を考えることは憲法と国民との関係を考えることを意味する。公に重きを置くか、個人の権利を大切に扱うか、は重要な論点だ。国民が憲法に無関心でいるわけにはいかない。
市民の間で憲法を学び直す動きが出てきた。長野市の田沢洋子さん(59)もそうだ。
4年前の福島原発事故が政治への目を開かせた。特定秘密保護法の整備を安倍政権が強引に進めたことで、政治不信は深まった。思いを同じくする人たちと「秘密保護法やだネット長野」を結成、今年2月には「憲法かえるのやだネット」に名前を変えた。
収束の見通しが立たない原発事故、沖縄の基地問題、秘密法、新たな安保法制の整備…。田沢さんらは個人の権利が踏みにじられ、空文化していく恐れがあることに危機感を抱いている。

<13条を読み直そう>
国民の権利を保障する憲法を政府や国会などに守らせる運動へと幅を広げるために、会の名前を変えたという。田沢さんは「13条に照らし、暮らしや社会がどうなっているか、点検することが大切だと思う」と話した。
「国のかたち」を選び、決めるのは主権者の国民であることを忘れてはならない。それができるのも、個人の権利がきちんと守られてこそだ。そんな思いで13条を読み直したい。