戦後70年談話 首相は「侵略」を避けたいのか - 読売新聞(2015年4月22日)

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安倍首相は戦後70年談話で、先の大戦での「侵略」に一切言及しないつもりなのだろうか。
首相がBS番組で、戦後50年の村山談話に含まれる「侵略」や「お詫わび」といった文言を、今夏に発表する70年談話に盛り込むことについて、否定的な考えを示した。
「同じことを言うなら、談話を出す必要がない」と語った。「(歴代内閣の)歴史認識を引き継ぐと言っている以上、もう一度書く必要はない」とも明言した。
村山談話は、日本が「植民地支配と侵略」によってアジア諸国などに「多大の損害と苦痛」を与えたことに、「痛切な反省」と「心からのお詫び」を表明した。
戦後60年の小泉談話も、こうした表現を踏襲している。
安倍首相には、10年ごとの節目を迎える度に侵略などへの謝罪を繰り返すパターンを、そろそろ脱却したい気持ちがあるのだろう。その問題意識は理解できる。
首相は70年談話について、先の大戦への反省を踏まえた日本の平和国家としての歩みや、今後の国際貢献などを強調する考えを示している。「未来志向」に力点を置くことに問題はなかろう。
しかし、戦後日本が侵略の非を認めたところから出発した、という歴史認識を抜きにして、この70年を総括することはできまい。
首相は一昨年4月、国会で「侵略の定義は学界的にも国際的にも定まっていない」と発言した。
侵略の定義について国際法上、様々な議論があるのは事実だが、少なくとも1931年の満州事変以降の旧日本軍の行動が侵略だったことは否定できない。
例えば、広辞苑は、侵略を「他国に侵入してその領土や財物を奪いとること」と定義し、多くの国民にも一定の共通理解がある。
談話が「侵略」に言及しないことは、その事実を消したがっているとの誤解を招かないか。
政治は、自己満足の産物であってはならない。
首相は一昨年12月、靖国神社を参拝したことで、中韓両国の反発だけでなく、米国の「失望」を招いた。その後、日本外交の立て直しのため、多大なエネルギーを要したことを忘れてはなるまい。
70年談話はもはや、首相ひとりのものではない。日本全体の立場を代表するものとして、国内外で受け止められている。
首相は、談話内容について、多くの人の意見に謙虚に耳を傾け、大局的な見地から賢明な選択をすることが求められよう。