「安全神話」は国を滅ぼす(2)―無視され続けた原子力事故への備え(佐々淳行さん)-nippon.com(2015年4月15日)

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日本には、核・原子力事故にも、生物・化学兵器テロにも備えがない。なぜなら、これらはあってはならないことになっているから。国民向けキャンペーンの建前を守るため、政府や専門家まで現実から目を背け続ける日本の驚愕の実態を、危機管理の第一人者が暴露。

日本に社会はあれど国はなし
橋本昌知事に会ったら、「どうかしているんじゃないか日本政府は。日本には国家というものがあるんですか」と詰め寄られた。「こういうのは国がやるべきことでしょう」と。どういうことかというと1979年にアメリカで起きたスリーマイル島の事故や、86年にソ連で起きたチェルノブイリの事故の経験から、地元住民の安全を考えると、半径10キロメートル以内から避難させる必要があった。それを茨城県東海村でやろうとすると、半径10キロメートル以内に30万人もいた。輸送用のトラックや、バスが数百台必要だった。茨城県中の輸送力をかき集めてもとても無理。自衛隊が来てくれなければ、どうにもならない規模だった。しかし、「災害対策基本法」によると地元の自治体が行わなければならなかった。この場合、東海村の村上達也村長が責任者だった。

村上村長は、当然のことながら怒り狂った。そして橋本知事も「これは国家の仕事である」と主張した。「原子力行政というのも、国が全部やっているので、地方自治体は関係ない。まして、村上という一村長にそれをやれというのは、正気の沙汰ではない。日本に国家はあるのか」ということを叫びだした。

事実、国家はなかった。日本には社会はあるけれど国家がない状態だった。今でもそうだ。国家はまだ存在していない。この20年間でいろいろ変化はあったが、基本的には変わってはいない。