日本の裁判は運次第? 美濃加茂市長無罪判決で残った検察への不信(江川紹子さん) - 夕刊アメーバニュース(2015年3月20日)

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■裁判官が「外れ」なら有罪だった可能性も
判決は、中林氏が虚偽の自白をする動機があるかどうかにも注目した。

彼は、別の融資詐欺事件で逮捕された後に本件を「自白」。詐欺の被害総額は3億7850万円に上り、自治体の契約書を偽造するなど悪質な手口だった。

にもかかわらず、「自白」以降、融資詐欺の捜査はストップ。起訴は2件、2100万円分にとどまった(その後、藤井弁護団の告発を受け、4000万円分を追起訴)。弁護団は、中林氏と検察の間に「闇取引」があったと主張した。

この点でも判決は極めて常識的な判断をしている。「闇取引」の主張は退ける一方、中林氏が少しでも軽い刑で済ませたいという思いから、捜査機関の関心をほかの重大事件に向けたり、捜査官に迎合的な態度をとることはあり得る、と指摘。虚偽供述の動機ありとして、その信用性を慎重に判断したのだ。

そんなことは裁判所として当然と思うかもしれないが、現実はそうではない。私は、被告人が無実を訴える多くの事件で裁判所が検察側の設定した土俵の上で審理を進め、検察側の強引な証拠解釈をうのみにし有罪判決を出すのを見てきた。そんな裁判官が今回の事件を担当したら結論はどうなっただろうか。予断と偏見を排し、真相に迫ろうとするタイプの裁判長に当たったのは、藤井市長にとって不幸中の幸いだった。

率直に言って、裁判官にも当たり外れがある。しかし、それで人生が左右されてはたまらない。普通の裁判官が、普通に今回のように判断できる裁判所になってもらわなければ困る。