壁のない自由な世界を 村上春樹氏スピーチ-中日新聞(2014年11月8日)

http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2014110802000246.html
http://megalodon.jp/2014-1110-1000-44/www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2014110802000246.html

村上春樹氏スピーチ要旨
私が初めてベルリンを訪れた時、街は壁で東と西に分かれていました。次に来た時、壁はなく、世界は全く違ったように見えました。ベルリンの壁が崩壊した時は、ほっとしました。悲しいことに、この感覚は長くは続きませんでした。中東の戦火、バルカン半島での戦争、ニューヨークの世界貿易センターへの攻撃。幸せな世界への私たちの希望は崩れました。

小説家の私にとって、壁は常に重要なモチーフです。二〇〇九年のエルサレム賞を受けた時、「壁と卵」と題したスピーチをしました。壁と、それにぶつかって壊れる卵について話しました。

壁は人々を分かつもの、一つの価値観と別の価値観を隔てるものの象徴です。壁は私たちを守ることもある。しかし私たちを守るためには、他者を排除しなければならない。それが壁の論理です。壁はやがて、ほかの仕組みの論理を受け入れない固定化したシステムとなります。時には暴力を伴って。ベルリンの壁はその典型でした。

世界には民族、宗教、不寛容といった多くの壁があります。小説家にとって、壁は突き破らなければならない障害です。小説を書くとき、現実と非現実、意識と無意識を分ける壁を抜けるのです。反対側にある世界を見て自分たちの側に戻り、作品で描写するのです。

人がフィクションを読んで深く感動し、興奮するとき、作者と一緒にその壁を突破したといえます。その感覚を経験することが読書に最も重要だと考えてきました。そういう感覚をもたらすような物語をできるだけたくさん書いて多くの読者と分かち合いたい。

ジョン・レノンが歌ったように、誰もが想像する力を持っています。壁に取り囲まれていても壁のない世界について語ることはできるのです。それが、大切で不可欠な何かが始まる出発点になるかもしれない。一四年のベルリンは、そんな力についてもう一度考えるのに最適の場所です。今、壁と闘っている香港の若者たちにこのメッセージを送りたい。(ベルリン・共同)

参考)
村上春樹氏「非現実的な夢想家として」--脱原発を訴えたカタルーニャ国際賞スピーチ全文-ログミー(2014年11月8日)

http://logmi.jp/27598
スペインの「カタルーニャ国際賞」を受賞した作家の村上春樹氏が、授賞式のスピーチで東日本大震災における原子力発電所の事故について触れ、「私たち日本人は核に対する『ノー』を叫び続けるべきだった」と訴えました。(カタルーニャ国際賞スピーチより/このスピーチは2011年6月に行われたものです

カタルーニャ国際賞スピーチ(1/2)

カタルーニャ国際賞スピーチ(2/2)

どうしてこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因は明らかです。原子力発電所を建設した人々がこれほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことがあり、安全基準の見直しが求められていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。

どうしてかと言うと、何百年に1度あるかないかという大津波のために大金を投資するのは営利企業の歓迎するところではなかったからです。また、原子力発電所の安全対策に対して厳しく管理するはずの政府も原子力政策を推し進めるためにその安全基準のレベルを下げていた節があります。

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今回の福島の原子力発電所の事故は我々日本人が歴史上体験する2度目の大きな核の被害です。しかし、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。私たち日本人自身がお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、自らの国土を汚し、自らの手で生活を破壊しているのです。

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そして、気がついたときには日本の発電量の約30%が原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、この地震の多い狭く混み合った日本が世界で3番目に原子炉の多い国になっていたのです。

まず、既成事実が作られました。原子力発電に反感を抱く人々に対しては「じゃあ、あなたは電気が足りなくなってもいいのですね。夏場にエアコンが使えなくてもいいのですね。」という脅しが向けられます。

原爆に否定を呈する人々に対しては「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。そのようにして私たちはここにいます。安全で効率的であったはずの原子炉が今や地獄の蓋を開けたような惨事を呈しています。


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カタルーニャの人々がこれまでの長い歴史の中で多くの苦難を乗り越え、ある時期には過酷な目に逢いながらも力強く生き続け、独自の言語と文化を守ってきたことを僕は知っています。

私たちの間には分かち合えることがきっと数多くあるはずです。日本でこのカタルーニャで私たちが等しく非現実的な夢想家となることができたら、そしてこの世界に共通した新しい価値観を打ち立てていくことができたらどんなに素晴らしいだろうと思います。

それこそが近年、様々な深刻な災害や悲惨極まりないテロを痛感してきた我々のヒューマニティーの再生への出発点になるのではないかと僕は考えます。私たちは夢を見ることを忘れてはいません。理想を抱くことを恐れてもなりません。

そして私たちの足取りを便宜や効率といった名前を持つ最悪な犬たちに追いつかせてはなりません。私たちは力強い足取りで前に進んでいく非現実的な夢想家になるのです。