「平和」訴える青い目の人形 戦中焼却の危機免れ-東京新聞(2014年8月14日)

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014081490135821.html
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メリーを迎えた日の記録が、一九二七(昭和二)年の学校日誌に残されている。「アメリカより送られたる人形と児童面会す」(四月二十八日)、「米人形の歓迎会をなす」(五月四日)。到着した日は、学校の下の道まで全児童が下り、整列して迎えたという。

だが太平洋戦争が始まると、全国で競うように青い目の人形が焼却された。同校では、教師の香取静枝さんが処分されたらかわいそうと、豪華なドレスを脱がし、目立たない布きれで洋服と帽子を縫って着せ替え、校長室の戸棚に保管。終戦の際に、包んで職員室の戸棚の奥の分からないところに隠した。

戦後しばらくして見つけ出され、陳列ケースに保存された。香取さんは九四年に亡くなったが、同校の百周年記念文集にこう寄せている。

「何時の間にか年月がたち、忘れていた頃、みつけ出され、人形を写真に撮り、額に入れて、校長先生が拙宅に持参されました。感激しました。(中略)人形の思い出が胸を過ぎる時、何時も世界中の平和を祈っております」