空襲後の市民監視 大戦末期 15道県の検事正-東京新聞(2014年8月13日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014081302000227.html
http://megalodon.jp/2014-0815-0952-55/www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014081302000227.html

報告書では「和歌山方面に敵が上陸する」(松山)「海軍は前から攻撃があることを知っていた」(徳島)といったデマが流れたことに言及。また、米軍の猛烈な爆撃や反撃できない日本軍の現状に「当然来るべきものが来たという諦観的態度を保持。復讐(ふくしゅう)心は低調のように見える」(富山)「軍部への信頼は薄い。戦意低下の傾向がある」(札幌)と厭戦気分が広がっていたことも記されている。青森の検事正は、敗北主義的な言動の取り締まりを強化すると報告していた。

原爆に関しては、長崎の検事正が投下三日後に詳細な報告を作成。神戸や熊本からも「原爆の惨禍が伝わり、民心が動揺している」との報告があった。

報告書は連合軍に接収されたが、一九七四年に返還された。

研究を続けている「春日井の戦争を記録する会」(愛知県)の金子力さん(63)は「当時の政府が市民を保護する対象ではなく、あくまでも監視する対象と考えていたことがよく分かる」と話している。