引き揚げ:仲間がバタバタ死んだ−強制労働耐えた平野力さん-両丹日日新聞(2014年7月20日)

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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140720-00010001-rtn-l26
http://megalodon.jp/2014-0721-1257-51/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140720-00010001-rtn-l26
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140720-00010001-rtn-l26&p=2
http://megalodon.jp/2014-0721-1258-51/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140720-00010001-rtn-l26&p=2

「ダモイ、ダモイ」にだまされ 貨車はシベリアへ向かった

世界記憶遺産への登録を目指すシベリア抑留と引き揚げの資料。引き揚げは舞鶴だけのことではなく、日本全国にかかわりがある。福知山市にも多くのシベリア抑留者が帰郷してきた。半田の獣医師、平野力さん(90)も、その一人。体験してきたことを問うと、「仲間がバタバタと死んでいった。そりゃあ、みじめなものでしたよ」と、静かに語り出した。

市内拝師の生まれ。現在の岐阜大で学んで獣医師になり、昭和19年10月1日に弘前の連隊へ入隊。10日ほどで大陸へ渡った。関東軍に着任した頃には、南洋で玉砕、撤退が続き、人も物資もどんどん南方へと移していた。満州に残っている部隊は「鉄砲の撃ち方も知らない者ばかりになっていました」。開拓団などから「根こそぎ動員」で現地召集された人たちで補充していたからで、敗戦、武装解除を経てソ連軍の指揮下に入り、シベリアへ移送された日本兵の中には、こうした「つい先日まで開拓民」だった人も多かったという。