何度聞いても分からない「解釈改憲」反対論(冷泉彰彦さん)-ニューズウィーク(2014年6月19日)

http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2014/06/post-656.php

今回の場合は憲法解釈ですから、少し手続きが異なります。

一つは、内閣が「自分の解釈に従って」関連法案を提出した場合に、それが国会という立法府の審査を経るということです。そこで可決成立すれば、事実上の「解釈改憲」に近づくわけですが、その際には民意の反映ということが重要ですから、大いに反対運動をしたらいいのです。

もう一つは、最高裁です。仮に法律が成立したとしても、最高裁違憲だと判断すれば、その法律は事実上無効になり、内閣の企図した解釈変更も無効になります。最高裁は、明治以来の歴史の中で民意からは「超然」としていましたが、そうは言っていられない時代です。この段階でも大いに反対運動をして違憲審査を勢いづけることは可能と思います。

日本国憲法に規定されているのは、そのような「三権分立」によるチェックです。それを、「閣議決定されたら立憲主義の終わり」だというような勢いで批判するというのは、要するに日本国憲法を信じていないということになります。

日本国憲法を信じていない人が、憲法を守れと叫んでいること自体が「大いなる矛盾」であるわけですが、別の言い方をすれば「反対」を叫べば叫ぶほど、「内閣に事実上の解釈改憲の権限がある」ということを「確認」することになっているわけです。

これは大変なパラドックスだと思うのですが、どうしてこの種の議論が起きないのでしょうか?