「一人じゃない」母の愛感じ変われた 傷害致死の元少年-朝日新聞(2013年4月9日)

http://www.asahi.com/national/update/0408/TKY201304070238.html
http://digital.asahi.com/articles/TKY201304070238.html?ref=comkiji_txt_end_kjid_TKY201304070238

編集委員・大久保真紀】4年前、17歳で義父を殴って死なせてしまった男性(21)が、家族らに支えられて罪を悔い、少年刑務所で償いの日々を送っている。当初は反省さえ示すことができなかったが、「ひとりじゃない」と感じたことが、少年を変えた。

2009年2月の夜。男性は、関東地方の自宅で友人らが騒いだことに文句を言った義父(当時60)を殴った。倒れた義父が吐いたため、一度は救急車を呼んだが、兄が大したことないと救急車を返すように指示、ベッドで寝た義父は翌朝、息をしていなかった。後頭部を敷居に強打したことによる急性硬膜下血腫などが死因だった。

男性は中国南方地方の生まれ。幼いころに中国人の父母が離婚し、祖母らに育てられた。小学校に入る前にようやく母(46)と暮らし始めたが、母は日本人の義父と再婚して日本に渡ったため、小2でまた祖母に預けられた。

男性が日本に来たのは04年。小学校6年に編入した。日本語がわからず、いじめに遭ったが、トラック運転手だった義父は車で連れ出してくれ、テレビゲームで遊んでくれた。3年ほどして養子縁組をした。

しかし、07年から義父は体調不良を訴えて働かなくなった。母が昼も夜も働き、家計を支えた。男性は、夜になると家を出るなど乱れた生活を送った。

傷害致死の疑いで逮捕された男性は当初、弁護士に「あれは事故」と答えた。事実関係や心情についても「わからない」「覚えていない」と繰り返し、反省の色を見せなかった。

弁護士と家族は、親に十分に受け入れられてきたという実感のない男性の心を開く必要があると話し合った。母親は男性をかまってこなかった過去を反省、毎日面会に通った。弁護士もできるだけ頻繁に接見し、最低でも1時間以上じっくりと男性の話を聞いた。

2カ月ほど続けると、男性は母への感謝や命の重さについて日記につづり始めた。

「大きい事件を起こしたのに、お母さんは一度も僕のことを見捨てたりしてません。(中略)本当に感動しました」「希望多い義父さんを無用に死なせてしまいました。(中略)僕は僕自身をうらみます」


保釈中は、通信制高校で猛勉強したほか、知的障害者施設を訪問するなど社会活動をし、視野を広げた。

10年9月の控訴審では検察官の質問に、「自分は周りから愛されていて、ひとりじゃないということを感じている」と答えた。

懲役1年6カ月以上3年以下の判決が確定し、11年3月に収監された。男性は差し入れの本を100冊以上読み、自分と向き合う作業を続けている。

最近の手紙には「4年前の自分は運が悪いとばかり考えていた。いまは自分に問題があったからこの結果になってしまったと思う」とある。今年2月に刑務所で記者と面会した男性は、しもやけで赤くなった手をさすりながら「毎晩寝る前に目を閉じて義父の冥福を祈っている」。出所後は日本で専門学校に通い、英語も勉強して家族とともに生きていきたい、と話した。

男性を支援してきた佐藤香代弁護士は「大人や社会が適切な関わりをもてば少年は変わる」と話している。