田原総一朗のニッポン大改革-現代ビジネス(2010年6月23日)

郷原信郎・弁護士インタビュー vol.2「東京、大阪両特捜部の杜撰な捜査はなぜ起きたのか」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/743


動画は、vol.1「小沢一郎捜査で露呈した東京地検特捜部が抱える病巣」から始まります
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/713

動画サイト http://www.ustream.tv/recorded/7562481

大阪の村木公判で検察からの調書の証拠請求が大部分却下されました(vol.2「東京、大阪両特捜部の杜撰な捜査はなぜ起きたのか」)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/743?page=11


郷原 その問題に関して、先日、大阪の村木公判で検察からの調書の証拠請求が大部分却下されましたよ。私はこれはものすごい大きな話だと思っているんです。

 鳩山さんと小沢さんが辞めちゃったことで少し世の中の関心が薄くなりましたけど、あの証拠請求の却下決定で、裁判所は二時間にわたって詳細に証拠として採用しない理由――検察官の取調の方法が信用できるという状況じゃないと判断する根拠――をいろいろ言っているんです。

 例えば、調書を取る時に、全部主任検事に上げて了承を取ってから調書を作成するということとか、「他の人間がこう言っているんだからそれで間違いないだろう」と言って、他の人間の供述で誘導するとか、いったん調書を取ると絶対訂正しないとか、それから取調のメモがあったはずなのに全部なくなっていると。

 こういうことが「信用できない」という事情として裁判所の判断の根拠にされたんです。

 ところが、これらの要素、こういう取調の方法というのは、今まで特捜検察が当たり前にやってきたことなんです。全てそういう調べのやり方こそが特捜部の調べそのものなんです。

 そういうやり方をすることによって、「関係者相互で供述が一致している」ことになる。それから、なぜメモがないかといったら、メモがあったら、「最初はこんな話をしていたけれど、それを無理矢理なんとかしてこの調書に署名させた」という経過が分かっちゃうじゃないですか。

 そういうことが分からないようにメモを残していないんです。ということ供述も「一貫している」ことになる。

 つまり、供述は関係者相互で符合し、かつ一貫していることになる。だから特捜の調書は必ずと言っていいほど「信用性あり」とされ、調書が認定の根拠にされてきたんですね。

 ところが今回の大阪地裁の決定というのは、まったく逆で、「こういうやり方をしているのは信用できない」と言ったわけです。これは非常に大きな話だと思うんです。ある意味じゃ当たり前のことなんですけど、当たり前のことを裁判所が言うようになった。

田原 すごい話ですよ。

郷原 これまで特捜の魔力みたいに思われていたものが、魔力でも何でもなくなり、普通の力すらなくなってきたんじゃないかと。