23日から保育無償化の有識者会議 「待機児童」後回し懸念 - 東京新聞(2018年1月21日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201801/CK2018012102000124.html
https://megalodon.jp/2018-0121-0959-33/www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201801/CK2018012102000124.html

政府は幼児教育・保育の無償化の対象を具体的に検討する有識者会議を二十三日にスタートさせる。同じ政府内でこれまで子育て政策を議論し、待機児童解消の早期実現などを求めてきた「子ども・子育て会議」の委員からは、無償化の会議の結論が優先され、子育て会議の意見が反映されないのではないかという不安や不満が出ている。
子育て会議は二〇一二年に成立した子ども・子育て支援法に基づき、重要事項を調査・審議し、関係閣僚に意見するため、一三年に内閣府に設置された。保護者や保育事業者、研究者、自治体、経済団体の代表ら二十五人で構成。各委員が子育て現場の実態を報告したり限られた財源をどんな子育て政策に充てるべきかを提案したりしてきた。
政府が三〜五歳の幼児教育・保育の無償化を二〇年度に完全実施する方針を決めたことを受け、子育て会議では昨年末と今月十七日の会合で「待機児童解消が最優先課題だ」「無償化より保育士や保育施設の確保が求められている」と苦言を呈する意見が続出した。
政府は幼児教育・保育の無償化について、新設の有識者会議で六月をめどに、対象となる認可外施設の範囲を固める。一方の子育て会議は今後も会合を開き、無償化の是非なども含め政府に意見を出していくが、無償化に関しては新設の有識者会議での議論が中心になる見通し。
このため子育て会議の委員を務める秋田喜代美・東大大学院教育学研究科教授は「子育て会議が(無償化の議論に)どういう役割を持ち得るのか明確に示してほしい」と指摘。広島清次・日本こども育成協議会会長は意見書で「子育て会議は本来の役割を十分果たしていない」と不満を漏らしている。 (坂田奈央)

パート社員の無期化 安定した働き方の一歩に - 毎日新聞(2018年1月21日)

https://mainichi.jp/articles/20180121/ddm/005/070/022000c
http://archive.is/2018.01.21-005948/https://mainichi.jp/articles/20180121/ddm/005/070/022000c

パートなど、有期雇用で働いている人を正社員のように無期限の労働契約に転換する制度の運用が、4月から本格的に始まる。
業績が悪くなったらいつ解雇されるかわからない。そんな不安を解消し、安定した働き方ができる流れを確実なものにすべきだ。
リーマン・ショックで雇い止めが社会問題となったのをきっかけに、労働契約法は改正された。有期雇用の人が同じ職場で5年を超えて働くと、本人が希望すれば無期雇用契約に転換できることになった。
「転換ルール」の適用は改正法の施行(2013年)から5年が過ぎる今年4月から本格化する。労働者が申し出ると、企業は拒むことができないことになっている。
ただ、連合が昨年、有期雇用の労働者にアンケートをしたところ、「内容を知らなかった」が84%に上った。44%が有期契約での働き方に不満があり、40%が正社員になることを希望しているのにである。
最近は有期雇用の労働者を正社員化する企業も少なくないが、転換ルールの適用前に雇い止めにする動きもある。連合の調査では法施行後に「契約期間や更新回数に上限が設けられた」が11%に上った。
昨年末に厚生労働省が公表した大手自動車メーカー10社の調査では、無期転換が可能なのは2社だけだった。契約終了後から再契約までの空白(クーリング)期間が6カ月以上あれば、転換ルールの適用を逃れることができる。7社はこのクーリングを導入していた。
政府は制度の抜け道をふさぐ方策を検討すべきだ。
また、無期雇用化が適用されても、その人がただちに正社員になるわけではない。簡単に解雇はされなくなるが、低賃金で福利厚生を受けられない非正規雇用であることは変わらない。柔軟な働き方を保証しつつ、無期化を機に賃金などの待遇改善も進めるべきである。
パートなど、有期雇用の労働者は全国に1200万人もいる。そのうち通算5年を超えて契約更新しながら働く人は450万人。家族の主たる働き手は多い。こうした人に安定した雇用を保障する法改正の趣旨を企業側も理解し、適正な運用に努めるべきだ。

「警察だけど、分かるよね」“暴君”と呼ばれた少年 野球を諦め荒れる日々 - 沖縄タイムズ(2018年1月19日)

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/194523
https://megalodon.jp/2018-0121-0958-12/www.okinawatimes.co.jp/articles/-/194523

◆青葉のキセキ−次代を歩む人たちへ−(4)第1部 立ち直り 大二 支援の道へ(上)
北谷(ちゃたん)の暴君−。非行に走る子どもたちの立ち直りを支援する団体「HOME(ホーム)」の代表を務める仲座大二(だいじ)(26)の、少年時代の呼び名だ。
小学生の頃は野球少年だった。2番ショートを任され、俊足好守を生かして先輩の試合にも抜てきされた。だが、打撃が大の苦手。打てない悔しさで、泣きながらバットを振った夜もある。チームのコーチだった父と一緒に、バッティングセンターにも通い詰めた。
それでも、思うように結果を出せない。強豪チームの中で次第に同級生に追い付かれ、そして抜かれた。「こんなに努力してるのに」。劣等感に押しつぶされた。
野球を続けるか悩んでいた6年の頃、2歳上の兄が友達とたばこを吸っている姿を見た。「かっこいい。野球と勉強以外で目立てるのはこれだ」。次第に冷め始める野球への情熱。
中学の野球部に入ってもやる気が出ない。2カ月後、練習態度に怒った顧問と取っ組み合いの大げんかに。「もうやめる」とグローブを放り投げた。かつて応援してくれた父も、熱意を失った息子を止めようとはしなかった。
授業にあまり出なくなり、学校では悪さばかりを繰り返した。職員室に花火を投げ込んだり、備え付けの消火器を体育館にまき散らしたり、同級生や後輩に暴力を振るったり…。喫煙がばれ、親が学校に呼び出されたのは多い時で週8回。その度に母は頭を下げ、自分を怒鳴りつけた。家に帰ると、事情を知った父に殴られることもあったが、聞く耳は一切持たなかった。
高校はすぐに自主退学。母に「辞めるな」と言われても、意に介さなかった。中退後、のり面工事の仕事を始める傍ら、バイクに乗って暴走を繰り返すようになったのはこの頃だ。
17歳になる直前の七夕の夜。先輩や同級生と暴走した帰り道、パトカーに追跡された。浦添市から沖縄市まで必死に逃げ回る。「怖い。でも引こうにも引けない」。細道に入り、何とか振り切った。後日、先輩が逮捕されたと聞き「俺も捕まるはずな」と覚悟した。
出勤の準備をしていた11月の朝5時半ごろ、突然家の電話が鳴る。「警察だけど、何の件か分かる?」。とっさに逃げようとして玄関のドアを開けると、門の前には複数の警察官が待ち構えていた。
突き付けられた逮捕令状。警察官から説明を受けた母は、玄関先で泣き崩れた。その姿を見ても「いつ出られるかな」。それしか頭になかった。=敬称略(社会部・新垣卓也)

予想通り少年院へ 「守れずごめんね」泣き崩れる母 迷惑かけたのは俺なのに… - 沖縄タイムズ(2018年1月20日)

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/195351
https://megalodon.jp/2018-0121-0957-27/www.okinawatimes.co.jp/articles/-/195351

◆青葉のキセキ−次代を歩む人たちへ−(5)第1部 立ち直り 大二 支援の道へ(中)
17歳だった2008年11月。暴走行為で逮捕された仲座大二(だいじ)(26)は、宜野湾署の留置場にいた。これまで何度も補導もされてきたが、逮捕は初めてのこと。2週間、薄暗い個室に寝そべり、出た後のことばかりを考えていた。
1カ月間入れられた少年鑑別所。職員と家族について話したり、部屋で本を読んだりと退屈な毎日だった。反省の気持ちなど、芽生えもしなかった。
免許が取り消されても、暴走したい気持ちは変わらない。出所してすぐバイクにまたがる。暴走の末、無免許運転で現行犯逮捕され、2度目の少年鑑別所に送られた。
09年4月に開かれた家庭裁判所の審判。裁判官から、少年院送致を言い渡された。予想通りの決定に驚きはない。その隣で、母が泣きながらひざまずいた。
「守ってあげられなくてごめんね」
悪さをするたび、学校の先生や警察官にひたすら頭を下げてきた母が、くしゃくしゃの顔で自分に謝った。
迷惑を掛けたのは俺なのに、何で−。親の前で泣くことなどなかったのに、涙があふれ出た。止まらなかった。「もう十分やった。終わりにしよう」。非行に踏ん切りをつけた瞬間だった。
更生を決意し、半年間の少年院生活は模範生として過ごした。100人を超える院生の中から、最優秀賞に選ばれた意見発表会の題目は「私の両親」。変わるきっかけとなった母の一言に触れ、「自慢の息子と思えるように頑張る」と率直な思いを語った。
院を出てから、悪さをしていた友人や先輩の誘いは極力遠ざけ、通信制高校の課題と仕事に身を入れた。卒業間際、校内にあった資格の紹介本の中で目に留まったのは税理士。「将来に生かせる。真剣にやればできるはず」。資格受験を見据え、推薦で沖縄大学に進学した。
新入生のオリエンテーションで、知らない顔の中に見覚えのある男がいた。同じように、バイクを乗り回していた1歳下の與古田亮希(24)だ。「あいつも立ち直ろうとしている」。2人はすぐに打ち解けた。
時間に余裕が出てきた大学2年の秋。「非行少年の立ち直りを支援したい」との思いが募る。「不良の気持ちを理解できるのは、不良だった自分たちだ」と確信していた。
「地元、北谷に恩返しだ!」と背中にプリントされたTシャツを作り、まずは與古田に手渡した。「あしたからボランティアやる。お前も来いよ」=敬称略(社会部・新垣卓也)

「いいことで目立とうぜ」 たむろする少年たちとごみ拾い 誰でも自分を変えられる - 沖縄タイムズ(2018年1月21日)

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/195521
https://megalodon.jp/2018-0121-0956-35/www.okinawatimes.co.jp/articles/-/195521

◆青葉のキセキ−次代を歩む人たちへ−(6)第1部 立ち直り 大二 支援の道へ(下)
「お前たちも一緒にごみ拾え」。沖縄大学2年生で22歳だった2013年10月、緑色のオリジナルTシャツを身に着け、軍手をはめた仲座大二(だいじ)(26)は、北谷(ちゃたん)町美浜でたむろする少年たちに次々と声を掛けた。
大学で意気投合した與古田亮希(24)や中学時代の悪友らと立ち上げた立ち直り支援のボランティア団体「HOME(ホーム)」の初めての取り組みは、美浜の清掃活動。一見、柄の悪い男たちが列を成し、海岸や繁華街のごみを率先して集めていく。嫌々ながら加わった少年たちも、店の人の「ありがとう」の言葉に表情が変わっていった。
活動に参加した少年が仲間や後輩を呼び、次第に参加人数は増えた。次に取り組んだのは夜間パトロールや登校支援。過去の悪行を知る人たちから「悪さばかりしてたくせにばかか」「何をたくらんでいる」と非難されたこともある。
それでも、不良少年と真正面から向き合えるのは自分たちだと信じた。「非行に走ってしまう環境は今、俺たちが変えないと」。信念は揺らがなかった。
立ち上げから1年が過ぎたころ。ごみ拾いを通じて知り合った16歳の少年から「定時高校の普通科に通いたい」と相談を受けた。仲座と同様、バイクの無免許運転で逮捕された前歴がある。1年間、勉強に苦しむ彼を必死に励まし続けた。
高校入学後、彼が再びバイクに乗り始めたことを知る。自分の経験上、暴走行為に戻る可能性が高い。「家庭教師の費用を工面して、飯を食わせたのは親だろ。そういうことも考えたか」と叱り、やめさせた。
今月、県内の大学に合格した彼が報告に来た。口べたゆえ「良かったさ」としか言えない。でも、内心は喜びでいっぱいだった。
パートナーの與古田も、ひたむきな仲座の姿に刺激を受けている。「やると決めたらやり切る彼がリーダーだから続けられた。これからも支えていきたい」
仲座は今、税理士事務所で働き、資格取得を目指しながらHOMEの運営を続けている。2年前に北谷町の補助を得て吉原に構えた事務所には週2回、居場所を求める少年少女約10人が集う。菓子や飲み物、時々作る食事の材料はメンバー6人が毎月積み立てた資金を充てる。「飲みに行くより、この子たちに使った方がいい」が共通の認識だ。
「変わろうと思えば誰でも変われる。そのために自分自身と向き合え」。12日、仲座は中学生8人を前に自分の歩みを語った。「いいことで目立とうぜ」。一人一人の目を見つめ、こう呼び掛けた。=敬称略(社会部・新垣卓也)