昭恵氏に同行の職員、出張書類なし 「公務」のはずが… - 朝日新聞(2017年5月12日)

http://www.asahi.com/articles/ASK5C5GBRK5CUTIL020.html
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安倍晋三首相の妻、昭恵氏付の政府職員について内閣官房は11日、旅行命令簿を開示した。森友学園大阪市)への国有地売却問題で、昭恵氏の私的活動に政府職員が同行していたことが判明し、政府は公務と説明しているが、内閣官房は命令簿を作成していなかった。専門家からは国家公務員旅費法違反との指摘も出ている。
朝日新聞は、第2次安倍政権以降の昭恵氏付職員の旅行命令書を開示請求。11日に内閣官房が開示した。書類によると、2013年1月〜今年2月、首脳会談やアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議などの際に延べ62回の旅行命令が出ていた。いずれも用務は「安倍首相に随行」だった。
昭恵氏付職員をめぐっては、同氏の私的活動に同行している実態が森友学園への国有地売却問題をきっかけに判明。「昭恵農場」(山口県下関市)での田植えや稲刈り▽森友学園の幼稚園での講演▽国政選挙での選挙応援▽ハワイへの私的訪問――などへの同行が明らかになっている。
政府はこれらについて、国会審議で「当面の(首相の)公務遂行補助活動に関する連絡調整を行うため、公務として同行した」などと説明している。だが、開示資料には、昭恵氏の私的活動に伴う同行分は含まれていなかった。
内閣官房は旅行命令簿について、「あるものは全部出している」と述べ、ほかに書類が存在しないことを認めた。国家公務員旅費法は公務員が出張する際、旅行命令を出したうえで命令書に記録することを義務づけている。命令書がないことが旅費法違反に当たるかについて、内閣官房内閣総務官室の担当者は「答えられない」とした。
昭恵氏の私的活動への同行について、土生栄二内閣審議官は3月30日、「過去において、(必要な)旅行命令や超過勤務命令の手続きがなされていなかったことが判明した」と述べ、「現在は個別に手続きを適切に行うよう改善を図った」と説明している。
政府によると、昭恵氏付職員は第1次安倍政権時は非常勤1人だったが、現在は常勤2人、非常勤3人。「夫人による首相の公務遂行を補助する活動を支援する」のが職務とされる。常勤職員を置くようになったのは「夫人の活動が現内閣になり、飛躍的に増大した」ためという。

千葉大学の新藤宗幸名誉教授(行政学)は「旅行命令書なしに公務員が出張するのは、国家公務員旅費法違反の疑いがある。公務員を『私人』の秘書にすることの無理が改めて明らかになったのではないか」と話す。(田玉恵美、岡戸佑樹)

週のはじめに考える 沖縄、統合と分断と - 東京新聞(2017年5月14日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017051402000152.html
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四十五年前のあす十五日、沖縄県は日本に復帰しました。しかし、米軍基地をめぐる沖縄と本土との分断は以前にも増して深まっているように見えます。

<みそとせの歴史流れたり摩文仁の坂平らけき世に思ふ命たふとし>

天皇陛下が皇太子時代の一九七六年、歌会始で詠まれた歌です。陛下はこの前年、皇后さまとともに初めて沖縄県を訪問され、本島南部の摩文仁を訪れています。
その三十年前、太平洋戦争末期に、沖縄は住民を巻き込んだ激烈な地上戦の戦場と化しました。摩文仁は、慰霊塔が並ぶ沖縄戦最後の激戦地です。
◆両陛下、慰霊に思い深く
沖縄戦では当時六十万県民の四分の一が犠牲になった、とされます。陛下の歌からは、戦没者を悼む深いお気持ちが伝わります。
両陛下の沖縄訪問は皇太子時代を含めて十回を数えますが、いつも真っ先に訪ねるのが南部の戦跡です。七九年、摩文仁国立沖縄戦没者墓苑ができてから、必ず最初の訪問先になっているのも、両陛下の強いご希望だといいます。
陛下は八一年の記者会見で「日本では、どうしても記憶しなければならないことが四つはあると思います」と述べられています。
四つとは、広島、長崎に原爆が投下された八月六日と九日、終戦の同十五日、沖縄で大規模な戦闘が終結した六月二十三日です。
太平洋戦争の戦没者慰霊の旅を続ける両陛下にとって、沖縄戦での多大な犠牲は、広島、長崎への原爆投下と同様、記憶にとどめるべき出来事なのです。
天皇の名の下に始まった戦争の犠牲者慰霊こそ、国民の安寧を祈る天皇としての務めとされているのでしょう。しかし、沖縄に寄せる深いお気持ちは、それだけではないように思えてなりません。
天皇制支配枠外の琉球
沖縄にはかつて「琉球国」という、日本とは別の国家だった歴史があります。江戸時代の薩摩藩による侵攻を経て、日本とされたのは明治時代の琉球処分によってです。日本史上、沖縄は長い間、天皇制支配の枠外だったのです。
明治政府によって、沖縄は徐々に日本に「統合」されていきましたが、日本の敗戦によって再び、本土から切り離されます。苛烈な米軍統治の始まりです。米国から日本に施政権が返還されたのが七二年五月十五日でした。
戦後施行の日本国憲法は、天皇の地位を「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と定めます。
日本とは別の独立国だった歴史を持ち、戦後は一時期、異国支配の苦難を強いられた沖縄です。
国政に関する権能を有しない天皇ですから、安易な推測は慎むべきですが、そうした沖縄だからこそ、天皇陛下は深い思いを寄せることで「統合」の象徴としての務めを誠実に果たそうとされているのではないでしょうか。
沖縄にとって四十五年前の本土復帰は、日本国憲法の下への復帰でもありました。
人権軽視の米軍統治下にあった沖縄の人々にとって、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重を基本理念とする日本国憲法は輝いて見えたことでしょう。
しかし、沖縄では憲法の基本理念は、いまだに在日米軍専用施設の約70%が県内に集中することによって、完全に実現されているとは言えない状況です。
沖縄は日本全体の安全保障のために重い基地負担を強いられています。本土と沖縄を隔てる分断の構図は、本土決戦を遅らせる「捨て石」とされ、多大な犠牲を出した沖縄戦と同じです。
翁長雄志知事をはじめ沖縄県民の多くは名護市辺野古沿岸部での米軍基地新設に反対しています。
それがたとえ危険な米軍普天間飛行場を閉鎖し、日本側に返還するためであっても、同じ県内に移設するのなら、県民には抜本的な負担軽減にはならないからです。
日米安全保障体制が日本と周辺地域の平和と安全に死活的に重要だというなら、その米軍基地負担は沖縄に限らず、日本全体ができる限り等しく負うべきでしょう。
◆県民威圧する安倍政権
にもかかわらず、安倍政権は県側の言い分に耳を傾けず、辺野古での基地建設を強行しています。県外から警察官を投入し、抵抗する県民を威圧するような強権的手法は、国民の統合に逆行し、本土と沖縄との分断を煽(あお)るだけです。直ちにやめるべきだ。
沖縄の地元紙などによる世論調査では約八割の県民が「復帰してよかった」と答えています。
私たちは、沖縄の歴史や苦難、そして今も強いている重い基地負担にもっと思いを致すべきでしょう。それが、国民統合を肯定的に受け止めている沖縄県民の思いに応えることにもなるからです。

「安倍政権はタガが外れている」『報道ステーション』後藤謙次の安倍批判がキレキレ! 御用記者に何が? - litera_web(2017年5月12日)

http://lite-ra.com/2017/05/post-3153.html

http://lite-ra.com/2017/05/post-3153_4.html
後藤氏が安倍政権批判に転じた理由とは
それにしても、後藤氏のこの“豹変”ぶりには驚いている視聴者も少なくないだろう。もともと後藤氏は長きにわたって竹下登野中広務といった経世会議員の番記者を務めてきた、「リベラル保守」のポジションにあった人物。それが第二次安倍政権発足後は安倍首相と会食する一方で、テレビでは安倍政権の擁護をダラダラと繰り返すようになった。
それがいま、どうして真っ正面から安倍首相の批判を毎夜のように展開しはじめたのか──その答えはシンプルだろう。後藤氏のような馴れ合いの番記者体質そのままのジャーナリストさえも、共謀罪が象徴する安倍首相の強権的なやり方には黙っていられない、それほど目に余る、ということだ。実際、共謀罪の審議や新憲法施行宣言、「読売を熟読しろ」発言に対しては、これまで安倍政権の暴走を黙認してきたテレビ番組でも疑義を呈する場面が、数は少ないとはいえ見られるようになってきている。
この変化は、後藤氏のみならず、「このままでいいのか」という危機感がメディアで醸成されつつあることの表れだろう。与党は来週18日に共謀罪衆院本会議で採決する方針だというが、果たして、メディアにどこまでこうした“覚醒”が広がるか。自分たちがいま、いかに大きな鍵を握っているかということを自覚するメディア人が、ひとりでも多く増えることを願いたい。