「新しい選挙」学生ら挑戦 衆院補選、走る「市民連合」- 朝日新聞(2016年4月10日)

http://www.asahi.com/articles/DA3S12303818.html

夏の参院選の前哨戦となる衆院補選が12日、北海道5区と京都3区で告示される。安全保障関連法に反対する学生団体「SEALDs(シールズ)」などでつくる「市民連合」にとっては初の国政選挙。野党をまとめ、どこまで力を引き出せるか、学生や市民が駆け回っている。

「自白重視が冤罪生む」 「足利事件」で無罪の菅家さん警鐘:栃木 - 東京新聞(2016年4月9日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/list/201604/CK2016040902000158.html
http://megalodon.jp/2016-0410-0105-25/www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/list/201604/CK2016040902000158.html

「物証がなく、頼りは自白だけ。もしかしたら冤罪(えんざい)なのではという不安は消えない」。宇都宮地裁で八日開かれた小一女児殺害事件の判決公判後、二〇一〇年に「足利事件」で再審無罪が確定した菅家(すがや)利和さん(69)は、本紙の取材にこう語った。この日の判決は、被告の自白は信用性があると認めた。ただ、菅家さんは、自白に重きを置いた捜査や司法のあり方に警鐘を鳴らす。 (中川耕平)
菅家さんは公判を直接傍聴していないが、法廷で明らかになった警察や検察の取り調べに関し、自身が受けた当時の捜査を振り返りながら、気になった点を指摘した。
「被害者より自分のことがかわいくて仕方ないか」「いろんな人間に恨まれ続ければいい」
再生された取り調べの録音・録画(可視化)には、検察官の厳しい追及に耐えきれず、被告が涙を流す様子も映し出された。
一方、女児を誘拐、殺害したとして、一九九一年に県警に逮捕された菅家さんは、任意同行に応じた日に深夜まで十数時間に及ぶ取り調べを受けた。「おまえがやったんだ。証拠はある」。髪をつかまれ、耳元で怒鳴る刑事の詰問に疲れ果て、悔し涙を流しながら「やりました」とこぼした。
パニック状態の中で、虚偽の自白をすることは「誰にでもありえる」と菅家さんは言う。自白偏重の捜査は「無実の人を犯人にしかねない」と懸念を示す。
菅家さんは逮捕から十八年後の二〇〇九年、宇都宮地裁での再審公判中、古里の足利市に戻ることができた。現在は講演で全国を回りながら、全ての事件で任意も含めた取り調べの全過程の可視化や、弁護士の同席、現場検証も映像に残すべきだと訴える。
「捜査機関は時に暴走し、誰かの人生を台無しにすることもある。だからこそ、証拠を重ねて自白に頼らない捜査を徹底してほしい」
◆教訓胸に刻むべき
<元裁判官の木谷明(きたにあきら)弁護士の話> 今回の判決では、無実の人が自白に追い込まれてしまう可能性について、詳細で客観的に検討された形跡が乏しかった。足利事件に代表されるように、本当は潔白にもかかわらず、犯行を事細かに供述した被告の実例は多い。その歴史をいま一度、胸に刻むべきだ。
◆強まる全面可視化の声
<解説> 七時間超に上る取り調べの録音・録画(可視化)を踏まえ、被告の自白の信用性を認めた判決は、有力な物証がなくても、具体的に語られた自白の内容や状況証拠を総合し、「被告を犯人と認定できる」と結論づけた。
物証が乏しい中、自白の可視化は事実上、検察の立証の切り札だった。黙秘しようとする被告に、検事が「ひきょうだろ」と迫る様子など、検察の印象を悪くしかねない場面も隠さず再生したことは、結果的に「捜査側が利益誘導してうその自白をさせた」との弁護側の主張を切り崩した。
一方で、公判では捜査のずさんさも明るみに出た。被害者の遺体に付いていた粘着テープに、鑑定に関わった県警の担当者のDNA型が付着した疑いが浮上。テープは事実上、犯人の唯一の遺留品だった。誤ったDNA鑑定が誤認逮捕につながった「足利事件」を経験したはずの県警で、捜査の在り方があらためて問われる形になった。
今回の判決を受け、検察が取り調べの可視化を有罪立証に活用する流れは加速するだろう。ただ、この事件でも可視化は一部に限られ、自白の強制や誘導が一切なかったか、映像で全てを確認することはできなかった。
捜査側は立証を自白の可視化ばかりに頼るのではなく、証拠収集の大切さに立ち返るべきだ。自白の任意性や信用性を正確に判断するためにも、任意聴取を含む全面可視化を求める声も一層強まるだろう。 (大野暢子)
足利事件 1990年5月、足利市で当時4歳の女児が行方不明になり、翌日に遺体で見つかった。女児の下着に付着していた体液のDNA型が一致したなどとして、91年12月、元幼稚園バス運転手の菅家利和さんが県警に逮捕された。最高裁無期懲役が確定したが、2009年5月に東京高裁で、再鑑定されたDNA型が不一致だったことが判明。同6月に菅家さんは釈放、東京高裁は再審開始を決定した。10年3月に無罪が確定した再審判決は、重要な証拠とされた自白は信用性がなく、虚偽と結論づけた。

 国立公文書館 国民が広く集う新館に - 毎日新聞(2016年4月10日)

http://mainichi.jp/articles/20160410/ddm/005/070/032000c
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公文書は政策決定をたどる歴史の集積であり、過去・現在・未来を結ぶ国民共有の財産である。この知的資源を保存し、受け継ぐ新しい国立公文書館の構想が加速してきた。
政府の有識者会議が国立公文書館の建て替え候補地の調査結果を公表した。国会周辺の2カ所の候補地のうち、文書の増加に対応する面積を確保できる東京・永田町の憲政記念館の敷地が有力になっている。
今ある国立公文書館は2019年度ごろに満杯になると見込まれる。建設が遅れれば、書庫を借りて保管しなければならない。政府は新館の構想を着実に進めてもらいたい。
国立公文書館は1971年、公文書の散逸を防ぐために設けられた。東京・北の丸公園の本館に加えて、98年には茨城県つくば市に分館が造られ、書庫の充実が図られた。
それでも欧米などの国立公文書館に比べると、規模や職員数は著しく見劣りする。日本の書架の長さは、本館と分館を合わせて72キロ、職員は54人。米国の1400キロ、2720人やフランスの380キロ、570人などに遠く及ばない。
有識者会議が3月にまとめた新館の基本構想が、現在の本館の数倍、4万〜5万平方メートルの確保を求めたのは当然だろう。
国立公文書館は研究者だけのものではない。米国の公文書館は移民の国らしく自分たちのルーツを訪ねる人々でにぎわっている。
日本でも、国立公文書館で昨年開かれたケネディ米大統領の企画展には、過去最多の来場者があった。国民が広く集うよう展示・学習機能を整備することは欠かせない。
施設の拡充と同時に、文書の管理体制も強化しなければならない。
集団的自衛権の行使容認に必要な憲法9条の解釈変更について、内閣法制局が内部の検討過程を公文書に残していないことなどが判明した。公文書管理法の趣旨に反する、きわめて不適切な事例である。
日本は、公文書を保存するか廃棄するかを判断する専門家を各省に置いていない。これでは役人が都合の悪い文書を勝手に廃棄しかねない。専門職員の配置を早急に検討すべきではないだろうか。
新館の候補地は、土地を提供する衆院議院運営委員会の小委員会が、基本構想を参考に決定する。文書管理の人材育成や保存・修復機能の充実など、課題は多い。
国立公文書館は電子資料を集めたアジア歴史資料センターを運営している。インターネットを通じて公開されるデータベースは評価が高く、こちらの拡充も期待されている。
公文書館は民主主義の礎となる施設である。開かれた文書管理を長期的に考えなければならない。

ヘイトスピーチ 根絶へ政治の意思示せ - 毎日新聞(2016年4月10日)

http://mainichi.jp/articles/20160410/ddm/005/070/030000c
http://megalodon.jp/2016-0410-1013-56/mainichi.jp/articles/20160410/ddm/005/070/030000c

特定の人種や民族に対する差別的言動を街頭で繰り返す「ヘイトスピーチ」を止めようとする法案が、今国会で審議される見通しになった。
ヘイトスピーチは、「殺せ」「出て行け」といった乱暴な言葉で罵倒や中傷し、差別感情をあおり立てる。人権侵害であり、到底許されないが、ヘイトスピーチを繰り広げる団体の活動は抑え込めていない。
法務省が初めて行った実態調査では、昨年9月までの3年半で全国で1152件のヘイトスピーチが確認された。1日1件に近い数字で、民主主義の国として恥ずべきことだ。
民主党(現民進党)などが国会に提出した人種差別撤廃施策推進法案に続き、自民、公明両党はヘイトスピーチ解消に向け法案を出した。ヘイトスピーチを止めるため、与野党で法制化の協議を急ぐべきだ。
東京や大阪など在日韓国・朝鮮人が多く住む地域でヘイトスピーチと呼ばれるデモが数年前から激化し、全国に広がった。
捜査当局などは、現行法の範囲で違法行為があれば取り締まってきたが、ヘイトスピーチは沈静化していない。法務省ヘイトスピーチを人権侵害と位置づけ、団体の元代表にやめるよう勧告したのは昨年12月だ。それでも強制力はない。
厳格な対応ができない背景には、現行の法制度では、ヘイトスピーチそのものを違法行為と認定できないことがある。一方、政府は、「表現の自由」との兼ね合いで直接的な法規制に慎重な姿勢を示してきた。
国連人種差別撤廃委員会は2014年、日本政府に対し、ヘイトスピーチ問題に毅然(きぜん)と対処し、法律で規制するよう勧告した。
国内からも政府の対応を促す声が強い。大阪市は今年1月、ヘイトスピーチの抑止を目指す全国初の条例を成立させた。国に対し、表現の自由に配慮しながらも、法規制など適切なヘイトスピーチ対策を求める意見書を採択する地方議会は300を超えた。国際社会の信頼を失いかねないとの危機感がそこにはある。
ヘイトスピーチは、個人の尊厳を大きく侵害するだけではない。子供などは強い恐怖感を抱く。表現の自由は大切な権利だが、ヘイトスピーチは明らかな権利の乱用だ。
与党案は、ヘイトスピーチを不当な差別と位置づけた。より広範な差別を規制対象とし、「禁止」を明確にした野党案と開きはあるが、罰則を伴わない点は共通する。拡大解釈で表現の自由が脅かされることのないようヘイトスピーチの定義を明確にしたうえで、道路でのデモや公共施設の使用を止められるような実効性のある法律にすべきではないか。政治の強い意思を示すべきだ。

(余録)禅には「本来無一物」という言葉がある… - 毎日新聞(2016年4月10日)

http://mainichi.jp/articles/20160410/ddm/001/070/063000c
http://megalodon.jp/2016-0410-1014-52/mainichi.jp/articles/20160410/ddm/001/070/063000c

禅には「本来無一物(ほんらいむいちもつ)」という言葉がある。事物は全て空(くう)であるから執着すべきものはない。茶道の精神にも通じる。茶道家の山崎仙狭(せんきょう)さんはトラック4台分の持ち物を処分し、広い一軒家から2LDKのマンションへ転居した。月刊誌「日経おとなのOFF」に紹介されていた。
転機は東日本大震災だ。人の営みが一瞬にして奪われた。「本来無一物」の意味を痛感したという。「余計なものが周りにないほうが時を大切に過ごせる」
必要最低限のものしか持たない人が増えているらしい。「ミニマリスト」と呼ばれる。昨年の新語・流行語大賞の候補にもなった。とりわけ若い世代に多い。右肩下がりの経済しか知らずに育ったからか。「車? 家? 欲しくない」という声をよく聞く。
経済成長を重視する立場から見れば社会の停滞だろう。だが見方を変えれば成熟に向かっている気もする。企業の景況感は悪化し、アベノミクスに陰りが見える。消費拡大が社会を豊かにするという発想は行き詰まってはいないか。
ネット上でミニマリストのさきがけと言われているのは随筆「方丈記(ほうじょうき)」を書いた平安・鎌倉期の文人鴨長明(かものちょうめい)だ。大地震や凶作を経験し、庵(いおり)を結ぶ。広さはかつて住んだ屋敷の100分の1ほど。四方が1丈、約3メートルの部屋なので方丈と名付けた。世の無常を主題にした作品は今も人の心を引きつける。
「世界で一番貧しい大統領」と呼ばれ、現在来日中のムヒカ・ウルグアイ前大統領も公邸に住まず質素に生活した。国内外で共感が広がる。幸福は経済指標だけでは測れない。時代や国境を超えた「方丈」の暮らしは教えてくれる。