(余録)禅には「本来無一物」という言葉がある… - 毎日新聞(2016年4月10日)

http://mainichi.jp/articles/20160410/ddm/001/070/063000c
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禅には「本来無一物(ほんらいむいちもつ)」という言葉がある。事物は全て空(くう)であるから執着すべきものはない。茶道の精神にも通じる。茶道家の山崎仙狭(せんきょう)さんはトラック4台分の持ち物を処分し、広い一軒家から2LDKのマンションへ転居した。月刊誌「日経おとなのOFF」に紹介されていた。
転機は東日本大震災だ。人の営みが一瞬にして奪われた。「本来無一物」の意味を痛感したという。「余計なものが周りにないほうが時を大切に過ごせる」
必要最低限のものしか持たない人が増えているらしい。「ミニマリスト」と呼ばれる。昨年の新語・流行語大賞の候補にもなった。とりわけ若い世代に多い。右肩下がりの経済しか知らずに育ったからか。「車? 家? 欲しくない」という声をよく聞く。
経済成長を重視する立場から見れば社会の停滞だろう。だが見方を変えれば成熟に向かっている気もする。企業の景況感は悪化し、アベノミクスに陰りが見える。消費拡大が社会を豊かにするという発想は行き詰まってはいないか。
ネット上でミニマリストのさきがけと言われているのは随筆「方丈記(ほうじょうき)」を書いた平安・鎌倉期の文人鴨長明(かものちょうめい)だ。大地震や凶作を経験し、庵(いおり)を結ぶ。広さはかつて住んだ屋敷の100分の1ほど。四方が1丈、約3メートルの部屋なので方丈と名付けた。世の無常を主題にした作品は今も人の心を引きつける。
「世界で一番貧しい大統領」と呼ばれ、現在来日中のムヒカ・ウルグアイ前大統領も公邸に住まず質素に生活した。国内外で共感が広がる。幸福は経済指標だけでは測れない。時代や国境を超えた「方丈」の暮らしは教えてくれる。