「自白重視が冤罪生む」 「足利事件」で無罪の菅家さん警鐘:栃木 - 東京新聞(2016年4月9日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/list/201604/CK2016040902000158.html
http://megalodon.jp/2016-0410-0105-25/www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/list/201604/CK2016040902000158.html

「物証がなく、頼りは自白だけ。もしかしたら冤罪(えんざい)なのではという不安は消えない」。宇都宮地裁で八日開かれた小一女児殺害事件の判決公判後、二〇一〇年に「足利事件」で再審無罪が確定した菅家(すがや)利和さん(69)は、本紙の取材にこう語った。この日の判決は、被告の自白は信用性があると認めた。ただ、菅家さんは、自白に重きを置いた捜査や司法のあり方に警鐘を鳴らす。 (中川耕平)
菅家さんは公判を直接傍聴していないが、法廷で明らかになった警察や検察の取り調べに関し、自身が受けた当時の捜査を振り返りながら、気になった点を指摘した。
「被害者より自分のことがかわいくて仕方ないか」「いろんな人間に恨まれ続ければいい」
再生された取り調べの録音・録画(可視化)には、検察官の厳しい追及に耐えきれず、被告が涙を流す様子も映し出された。
一方、女児を誘拐、殺害したとして、一九九一年に県警に逮捕された菅家さんは、任意同行に応じた日に深夜まで十数時間に及ぶ取り調べを受けた。「おまえがやったんだ。証拠はある」。髪をつかまれ、耳元で怒鳴る刑事の詰問に疲れ果て、悔し涙を流しながら「やりました」とこぼした。
パニック状態の中で、虚偽の自白をすることは「誰にでもありえる」と菅家さんは言う。自白偏重の捜査は「無実の人を犯人にしかねない」と懸念を示す。
菅家さんは逮捕から十八年後の二〇〇九年、宇都宮地裁での再審公判中、古里の足利市に戻ることができた。現在は講演で全国を回りながら、全ての事件で任意も含めた取り調べの全過程の可視化や、弁護士の同席、現場検証も映像に残すべきだと訴える。
「捜査機関は時に暴走し、誰かの人生を台無しにすることもある。だからこそ、証拠を重ねて自白に頼らない捜査を徹底してほしい」
◆教訓胸に刻むべき
<元裁判官の木谷明(きたにあきら)弁護士の話> 今回の判決では、無実の人が自白に追い込まれてしまう可能性について、詳細で客観的に検討された形跡が乏しかった。足利事件に代表されるように、本当は潔白にもかかわらず、犯行を事細かに供述した被告の実例は多い。その歴史をいま一度、胸に刻むべきだ。
◆強まる全面可視化の声
<解説> 七時間超に上る取り調べの録音・録画(可視化)を踏まえ、被告の自白の信用性を認めた判決は、有力な物証がなくても、具体的に語られた自白の内容や状況証拠を総合し、「被告を犯人と認定できる」と結論づけた。
物証が乏しい中、自白の可視化は事実上、検察の立証の切り札だった。黙秘しようとする被告に、検事が「ひきょうだろ」と迫る様子など、検察の印象を悪くしかねない場面も隠さず再生したことは、結果的に「捜査側が利益誘導してうその自白をさせた」との弁護側の主張を切り崩した。
一方で、公判では捜査のずさんさも明るみに出た。被害者の遺体に付いていた粘着テープに、鑑定に関わった県警の担当者のDNA型が付着した疑いが浮上。テープは事実上、犯人の唯一の遺留品だった。誤ったDNA鑑定が誤認逮捕につながった「足利事件」を経験したはずの県警で、捜査の在り方があらためて問われる形になった。
今回の判決を受け、検察が取り調べの可視化を有罪立証に活用する流れは加速するだろう。ただ、この事件でも可視化は一部に限られ、自白の強制や誘導が一切なかったか、映像で全てを確認することはできなかった。
捜査側は立証を自白の可視化ばかりに頼るのではなく、証拠収集の大切さに立ち返るべきだ。自白の任意性や信用性を正確に判断するためにも、任意聴取を含む全面可視化を求める声も一層強まるだろう。 (大野暢子)
足利事件 1990年5月、足利市で当時4歳の女児が行方不明になり、翌日に遺体で見つかった。女児の下着に付着していた体液のDNA型が一致したなどとして、91年12月、元幼稚園バス運転手の菅家利和さんが県警に逮捕された。最高裁無期懲役が確定したが、2009年5月に東京高裁で、再鑑定されたDNA型が不一致だったことが判明。同6月に菅家さんは釈放、東京高裁は再審開始を決定した。10年3月に無罪が確定した再審判決は、重要な証拠とされた自白は信用性がなく、虚偽と結論づけた。