パブリックコメントにご意見をお寄せください。- 子どもと法21(2015年11月28日)

http://www.kodomo-hou21.net/20151127.html

少年法の対象年齢引下げに関する意見募集」に対して「意見書」を郵送いたしました。現在、選挙権年齢引下げに伴い、少年法対象年齢引下げが検討されています。子どもの成長権という憲法(13条、26条)上の問題もあり、少年のみならず、社会の安全にも大きくかかわる問題となります。少年法「改正」は憲法「改正」とも連動しているのです。このままでは、世論の動向次第では「賛成」の意見が多く寄せられ、一方の反対意見が少ないまま、充分な審議されることなく、承認されてしまう可能性があります。
数多くのパブリックコメントをお寄せいただけるよう、お願いいたします。
法務省に郵送した「意見書」
http://www.kodomo-hou21.net/pdf/Public20151127.pdf
少年法上の成人になる年齢を20歳から18歳に引き下げるべきかについて ⇒「絶対に反対である。」 その理由は....

(筆洗)『家栽の人』は、すごい。 - 東京新聞(2015年11月28日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2015112802000147.html
http://megalodon.jp/2015-1128-1055-14/www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2015112802000147.html

家栽の人』は、すごい。家裁の人つまり家庭裁判所の職員から、そう聞いたことがある。一九八七年から連載された家裁を舞台にしたマンガだ。
主人公の桑田判事は植物を愛し、家庭のありように苦しみ罪を犯した少年をこう諭す。「木はどこにも、逃げて行けないでしょう」「だからとても、きれいなんじゃないかな」。だから、家「栽」の人。
ほんわかした作風だが、生半可な取材では迫れぬ少年審判の実態が鮮やかに描かれている。ゆえに家裁の人たちをも魅了したのだが、実はほとんど想像の産物だったそうだ。
原作者の毛利甚八さんは、最高裁に取材を申し入れたが拒まれた。ならばと、「審判は懇切に和やかに、少年の内省を促すものとしなければならない」との少年法の理念をひたむきに追う判事を描いたという。
作品は反響を呼び、毛利さんは法曹界に多くの知己を得たが、家裁の実態を聞くうち、自己嫌悪に陥ったそうだ。現実に桑田のような判事はいない。自分が理想像を描くことで実相を見えにくくしているのではないかと。
苦悩の中で連載を終えた毛利さんだったが、やがて、『家栽の人』に胸を打たれ法律家を目指した多くの若者の存在を知る。「桑田判事の思想が現実の裁判所で生きている」。先週五十七歳で逝った毛利さんは遺著『「家栽の人」から君への遺言』で、そんな思いを書き残している。

少年法
第1章 総則
第1条(この法律の目的)
この法律は、少年の健全な育成を期し、非行のある少年に対して正確の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行うとともに、少年及び少年の福祉を害する成人の刑事事件について特別の措置を講ずることを目的とする。

関連サイト
家栽の人」から君への遺言〜それでも僕は犯罪加害者を「悪」と断罪しない - 現代ビジネス(2015年11月24日)
http://d.hatena.ne.jp/kodomo-hou21/20151126#p16

安保法を問う 条約なき盟約の危うさ - 東京新聞(2015年11月28日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015112802000146.html
http://megalodon.jp/2015-1128-1102-50/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015112802000146.html

オーストラリアは日本にとって重要な友好国である。しかし、日米のような安全保障条約を結ばないまま、防衛協力を強化して「準同盟国」と位置付ける手法には、危うさを感じざるを得ない。
日本とオーストラリアとの外務・防衛閣僚会議、いわゆる2プラス2が二十二日、シドニーで開かれた。日豪2プラス2は第一次安倍内閣の二〇〇七年に始まり、今回で六回目。九月に豪首相が、安倍晋三首相と個人的な信頼関係を築いたアボット氏からターンブル氏に交代した後、初めてだ。
会議後に発表した共同コミュニケには、両国の「特別な戦略的パートナーシップ」や「二国間の安全保障・防衛協力を新たな段階に引き上げる」などの言葉が並ぶ。
また、自衛隊と豪軍が共同運用や訓練を円滑に行うための「訪問部隊地位協定」の締結を急ぐことや、豪州の次期潜水艦共同開発に日本が参加する用意のあることを表明したことも明記された。
憲法違反と指摘される安全保障関連法の成立を強行し、集団的自衛権を行使する対象国として、米国に加えてオーストラリアをも想定している安倍政権としては、自衛隊と豪軍の防衛協力をさらに進める腹づもりなのだろう。
日豪は、日米や米豪に次ぐ、準同盟国という位置付けだ。
日豪両国は自由、民主主義、基本的人権の尊重、法の支配、市場経済という「共通の価値」で結ばれた友好国である。経済的関係も深い。アジア・太平洋地域を中心に国際社会の平和と安全にともに責任を有することに異論はない。
しかし、中国の海洋進出という国際情勢の変化はあるにせよ、日豪間で軍事的関係を強化することに性急すぎないか。そもそも、安全保障における日豪の関係は日米とは決定的に違う。
日米間の防衛協力は、その是非は別にして、国権の最高機関である国会が承認した安保条約を根拠とするが、日豪にはそれがない。
安保関連法により、自衛隊は豪軍を含む外国軍を守るために集団的自衛権を行使できるようになったが、安保条約を結ぶに至っていない国を守るための自衛権発動が妥当なのだろうか。
二国間の防衛協力の根幹をなす安保条約を結ばず、国会での論議を回避する一方、国会の承認を必要としない外交約束を根拠に自衛隊と他国軍との軍事協力を既成事実化してしまう。そうした政府の手法自体の是非が問われている。

原節子さん 戦後を支えた銀幕の人 - 東京新聞(2015年11月28日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015112802000145.html
http://megalodon.jp/2015-1128-1056-44/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015112802000145.html

原節子さんが亡くなった。銀幕からふと姿を消して五十三年、その素顔と心の内を完璧に隠し通した美学の人。戦後昭和を遠くから照らし続けた美しい人の面影は、永遠に、色あせることがない。
広島県尾道市。「東京物語」の舞台になった海辺のまちの料理旅館で、撮影中、原節子さんが逗留(とうりゅう)したという部屋を見せてもらったことがある。
「ここに原節子さんがいたんですよね」
その家の主人は、あたかも本人の気配を感じているように、誇らしげにうなずいた。
撮影から半世紀以上が過ぎてなお、不在の部屋に名残を感じる。昨今の「レジェンド(伝説)」には、いささか安売りの感がある。だが、女優「原節子」=写真=こそ、真の生ける伝説だった。
小津安二郎監督の「紀子三部作」のうち、出世作といわれる一作目の「晩春」を見直した。
妻に早く先立たれ、一人娘に身のまわりの世話を焼かせ続けた父親が、自らも再婚すると偽って、娘・紀子を嫁がせる−。日常の断面を切り取った動きの少ない画面から、静けさがにじみ出るような“小津調”の典型だ。
花嫁姿の紀子が三つ指をついて父親に別れを告げるクライマックス。原さんの大きな瞳がみるみる潤む。白い歯がのぞく口元に、ぎこちない含羞の笑み。
白黒スタンダードサイズの画面がそこだけ天然色に染まったような、日本の美、そのものだ。
その存在感が群を抜いているだけに、あるじなき部屋の姿見に映る虚(うつ)ろな障子の桟に、不在の悲しみが際立った。
タイトルに「昭和二十四年完成」とある。急速に米国色に染まりつつあったその時代、原さんの存在感が、日本の美、それも、ささやかな日常に潜む美を、しみじみ思い出させてくれたのだ。
三部作のあと二作、「麦秋」と「東京物語」のラストでも、紀子の不在と再生の予感が語られる。
人々は敗戦による喪失を埋めてあまりある日本の美に励まされ、戦後の昭和を生き抜いたのではなかったか。
秘すれば花−。
女優「原節子」はモノクロだけに色あせず、人々の心の銀幕で生き続けるに違いない。華やかな昭和の残像とともに。

菊地元信者 無罪、釈放 東京高裁 テロ関与認識否定 - 東京新聞(2015年11月28日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201511/CK2015112802000144.html
http://megalodon.jp/2015-1128-1057-47/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201511/CK2015112802000144.html

オウム真理教による一九九五年の東京都庁小包爆弾事件で、爆薬の原料となる薬品を運んだとして、殺人未遂ほう助罪などに問われた元信者菊地直子被告(43)の控訴審判決で、東京高裁は二十七日、「運んだ薬品によって、テロなどが起きるとの認識があったと認めるには合理的な疑いが残る」と判断し、懲役五年とした一審判決を破棄して無罪を言い渡した。 
菊地元信者は十七年間の逃亡の末、二〇一二年六月に逮捕された。無罪判決を受け、二十七日午後五時すぎ、勾留先の東京拘置所から釈放された。

戦争被害語るシンポ 中国人参加者ビザ却下 - 東京新聞(2015年11月28日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201511/CK2015112802000140.html
http://megalodon.jp/2015-1128-1103-45/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201511/CK2015112802000140.html

東京都内で二十七日に始まった中国と韓国の戦争被害者や遺族らが証言するシンポジウムに参加予定だった中国人十二人が、外務省にビザ申請を却下されていた。韓国側証言者は参加した。主催した市民団体「アジアと日本の連帯実行委員会」は同様のシンポジウムを二〇〇五年から毎年開催してきたが、海外からの参加者にビザが発給されなかったのは初めてという。
シンポジウムの名称は「戦争法の廃止を求め 侵略と植民地支配の歴史を直視し アジアに平和をつくる集い」。二十九日まで都内三カ所で開催し、国内の大学教授や中国、韓国の戦争被害者が証言するプログラム。ルポライター鎌田慧氏や村山首相談話を継承し発展させる会の藤田高景(たかかげ)理事長らが呼び掛け人となっている。
二十七日午後に東京・永田町の衆議院第一議員会館で開かれたシンポジウムでは、藤田氏が「これまで参加が認められていた参加者まで拒否された。政府の判断は露骨な言論弾圧だ」と批判した。
ビザ申請に携わった一瀬敬一郎弁護士によると、参加を予定していたのは、旧日本軍の七三一部隊が行った細菌戦の被害者遺族であり被害者協会代表の弁護士や、裁判官、検察官ら十二人。一瀬氏が十一月四日に、北京大使館と上海総領事館の二カ所にビザを申請した。過去にシンポジウムに招いた時は四、五日で出ていたビザがなかなか発給されないため、大使館側に問い合わせたところ、「調査中」と回答された。二十日以降は「外務省の指示待ち」となり、二十五日に「今回は発給しない」と伝えられたという。
一瀬氏は「政府の判断は、戦争被害の実態を日本に伝え、過ちを繰り返さないよう日中交流を深めようとする人の気持ちを踏みにじるものだ」と話した。外務省外国人課は「個別の判断理由は答えられないが、却下した理由に、シンポジウムの趣旨への政治的な判断は一切ない」としている。

ローマ法王 格差に怒り ケニアのスラム「正義に反する」 - 東京新聞(2015年11月28日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201511/CK2015112802000127.html
http://megalodon.jp/2015-1128-1104-41/www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201511/CK2015112802000127.html

【ナイロビ=共同】アフリカ歴訪中のローマ法王フランシスコは二十七日、ケニアの首都ナイロビにあるスラム、カンゲミ地区の教会を訪れ、清潔な飲み水や電気がない都市周辺部に貧困層が追いやられている状況について「恐ろしく正義に反する」「新しい植民地支配の形」と語り、貧富の格差に激しい怒りを示した。
水道などの公共サービスや教育施設が整備されず、治安も悪いスラムの現状を訴える住民の声に耳を傾け「少数の人々が富と権力に執着して自分本位に浪費する一方、大多数の人々が不潔で荒廃した周辺部に住むことを余儀なくされている」と指摘した。
法王はオープンカーに乗り、沿道の住民に手を振りながらカンゲミ地区に到着した。教会に集まった多くの聴衆を前に「私があなたたちの喜びや希望、困難や悲しみに無関心でないことを知っていてほしい」と呼び掛け、貧困層に寄り添う姿勢を見せた。
この後、法王はウガンダを訪問した。