民法の規定見直し 無戸籍ゼロにするために - 毎日新聞(2019年8月14日)

https://mainichi.jp/articles/20190814/ddm/005/070/143000c
http://archive.today/2019.08.14-000718/https://mainichi.jp/articles/20190814/ddm/005/070/143000c

親が出生届を出さなかったのが原因で無戸籍者となった人は830人に上る。今年6月時点で法務省が把握している数だ。約8割は、民法の「嫡出推定」が原因とされる。
法制審議会の民法(親子法制)部会が、その「嫡出推定」の見直しに向けた検討を始めた。
民法部会が参考にするのは、法務省有識者研究会が示した見直し案だ。ポイントは大きく2点ある。
民法は、結婚中に妻が妊娠した子は夫の子とする「嫡出推定」を定めている。離婚後も300日以内に生まれた子は前夫の子とされる。見直し案はこの規定について、出産時に妻が再婚していれば現夫の子とみなすという例外規定をもうけた。
また、現行規定は嫡出推定を覆す「嫡出否認」の訴えを夫だけに認めているが、子や妻も申し立てられるように拡大した。
嫡出推定の例外規定は、どこまで実効力があるかは分からない。離婚後に新たなパートナーと婚姻せずに生活するライフスタイルはもはや珍しくない。例外規定はこうした女性には適用されないからだ。
嫡出否認権の拡大は、無戸籍者を減らすことにつながりそうだ。
現行規定では、妻が別居中に別の男性と子をもうけた場合、推定を覆すには夫の協力が必要となる。だが、別居の原因が家庭内暴力の場合などには協力を求めづらく、出生届を出さないケースが生じていた。
子や妻が自分で訴えを起こせれば、夫に協力を求める必要はない。ただし、相手が家庭内暴力の夫だった場合、子や妻が申し立てをする「勇気」は必要で、ハードルが低いとは言えない。
嫡出推定は明治時代から続く規定で、子どもを不安定な立場に置かないよう早期に父子関係を確定させる目的がある。
見直し案はこれを維持する一方で、複数の規定の見直しにより、無戸籍者問題を解決すべきだと主張する。だが、その手法で、問題を完全に解消できるか懸念が残る。
戸籍がないと原則として住民票やパスポートを取得できず、行政サービスが十分に受けられない。不条理としか言いようがない。
無戸籍者をゼロにするための改正を目指すべきだ。

 

ハンセン病と差別 理解と克服への道を探る - 朝日新聞(2019年8月14日)

https://www.asahi.com/articles/DA3S14138348.html
https://megalodon.jp/2019-0814-0910-09/https://www.asahi.com:443/articles/DA3S14138348.html

ハンセン病の元患者を隔離した国策をめぐり、政府はその家族も差別と偏見にさらされてきたことを認め、補償と名誉の回復に取り組むことになった。
隔離政策の開始から110年余。2001年に過ちを認め、元患者への補償に乗り出してからも18年が過ぎた。なぜこんなにも長い年月を要したのか。
愚かな政策の転換と償いが遅れた国を責めるだけでは、十分な解はみつかるまい。それを受け入れてきた社会のありようも問われている。
元患者らが、そしてその声を受け止めた人たちが、さまざまに発信を続けている。目をこらし、耳をすませたい。

■芸術家とともに

一周7キロ、高松市沖の大島は、療養所がある「隔離の島」として知られる。いまは3年に1度の現代アートの祭典、瀬戸内国際芸術祭のまっただ中だ。
かつて元患者がつかっていた家屋に、11の作品が点在する。
「Nさんの人生・大島七十年」は、絵本作家の田島征三さんの作。16歳での離郷、療養所で重症者の看護を命じられた強制労働、同じ病の女性との結婚と妊娠、中絶……。廊下を進むと、部屋ごとにNさんの苦難の歩みが絵巻物風に示される。
美術家の山川冬樹さんが出品したのは「海峡の歌」だ。島外に出ることを禁じられた人々は、自由を求めて対岸へ泳いで渡ろうとした。山川さんは同じ海を泳ぎ、その姿を撮った映像を見せながら、子どもたちが朗読する短歌を流す。「飼い殺しなどと言はれて枠の中に生きて死にたる者ら甦(よみがえ)れ」
社会から排除されてきた島に転機が訪れたのは、10年ほど前のことだった。瀬戸内一帯の島々で芸術祭が催されることになり、大島も参加を打診された。
「人間を棄(す)ててきた島に価値はない。誰も来ない」。そんな声が強かったが、療養所自治会の森和男さんは「何があったか知ってもらうためにも、できるだけ多くの人に来てほしい」と考え、島の「開放」を進めた。
芸術祭の作品には、隔離政策の告発のほか、人間としての誇りやつながりの再生を願う思いなどが様々に込められている。
孤絶の世界で何を希望に生きてきたのか――。そう考えさせるような展示は、元患者との交流と対話を重ねた結晶だ。

■「共感」促す試み

次々と訪れる観光客には、隔離の記憶を刻む島だと知らない人も多い。だが元患者の人生を映した作品に触れ、故郷を失った人の納骨堂や強制中絶で命を奪われた胎児を悼む碑をガイドと歩き、共感が生まれる。
「選択肢のない人生ってどういうものか考えた」(東京都の32歳男性)。「支え合い、生き抜いた人を尊敬する」(兵庫県の31歳男性)。何度も足を運ぶ大阪市の女性(41)は自宅近くで「語る会」を開き、岡山市の男性(49)はボランティアでガイドを務めるようになった。
大島以外でも、垣根を越えていく、さまざまな試みがある。
岡山県では、療養所がある長島などの島々をめぐるクルージングツアーが催されている。
高齢化が進む元患者らが、問題を風化させまいと主催する。長島に残る収容施設や監房跡などを学芸員とまわる。構えずに参加してもらおうと牡蠣(かき)で知られる人気の港を発着場所にした。9月までに7回あるツアーは、すでに予約でいっぱいだ。
全国に13ある国立療養所の大半には資料館がある。その中心が、東京都東村山市の国立ハンセン病資料館だ。関連する映画や絵画、小説、音楽などがつくられてきたことを意識し、それぞれの分野の愛好家を呼び込む企画展やワークショップを開く。今春には元患者らの話を動画投稿サイトで配信し始めた。

■一人ひとりが動く

ハンセン病をめぐっては、特効薬の開発と普及などで1960年ごろには隔離は不要とされていたのに、打ち切りは96年まで遅れた。元患者への補償へと舵(かじ)を切った01年以降、人権に関する学習活動や啓発事業が行われてきたが、家族は置き去りにされた。
6月末の熊本地裁判決が元患者の家族への賠償を命じた後、安倍首相は控訴を断念し、家族に謝罪した。今後、元患者への補償金支給と名誉回復を掲げる二つの法律が改正され、家族も被害者だと位置づけられる見通しだ。
ただ、それだけで差別と偏見がなくなるわけではない。
元患者は隔離によって個人の尊厳を著しく傷つけられた。その家族は就学や就職、結婚などを妨げられた。そうした「人生被害」は想像を絶する。
隔離政策を推進した国が厳しく批判されるのは当然だが、元患者と家族を追い込んだのは地域の住民だったことを忘れてはならない。
ハンセン病にまつわる歴史を知ろうと、一歩を踏み出す。差別や偏見について考え、自らに問う。一人ひとりのそうした取り組みが、過ちを繰り返さないための礎となる。

 

被爆者の声 なぜ首相には届かない - 東京新聞(2019年8月14日)

https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019081402000153.html
https://megalodon.jp/2019-0814-0913-34/https://www.tokyo-np.co.jp:443/article/column/editorial/CK2019081402000153.html

被爆者とは、核の力を身をもって知る人たちだ。だから「もう二度と被爆者を生まないように」と祈りを込めて、核廃絶を訴えてきた。だがその声が「唯一の戦争被爆国」の宰相には、届かない。 
九日の長崎平和祈念式典被爆者代表の平和への誓いは、鮮烈だった。八十五歳の山脇佳朗さんである。
被爆翌日、焼け跡で見つけた父親の崩れた遺体が怖くなり、置き去りにして逃げ出したという“告白”のあと、山脇さんは来賓である首相に直接呼び掛けた。
被爆者が生きているうちに世界で唯一の被爆国として、あらゆる核保有国に『核兵器を無くそう』と働き掛けてください」と。
あまりに悲しい記憶に向き合い、満天下にさらすのは、さぞかしつらいことだろう。だが、それも「被爆の実相」だ。山脇さんは病身を押して、しかし毅然(きぜん)と語ってくれた。
広島と長崎で原爆の犠牲になった何十万もの魂が、背中を押していたのだろうか。
それに対して安倍晋三首相。「核兵器国と非核兵器国の橋渡しに努め、双方の協力を得ながら対話を粘り強く促し、国際社会の取り組みを主導していく」と、結局は「橋渡し」役にとどまる“決意”は、去年と同じである。
日本はおととしの夏に採択された核兵器禁止条約に参加していない。米国の核の傘の下にいるからだ。そもそも橋渡し役とは中立の立場でするものだ。一方の岸にしがみついたまま、どうやって橋を架けると言うのだろうか。
居酒屋談議やゴルフの合間に、トランプ米大統領に「核廃絶」を勧めることがあったとしても、現実を見る限り、逆行が加速しているとしか思えない。
米ロの中距離核戦力(INF)廃棄条約が失効したばかり。再来年には期限が切れる新戦略兵器削減条約(新START)の前途にも暗雲が垂れ込める。トランプ政権は「使える核兵器」と呼ばれる小型核の開発に力を入れている。
中国も核戦力を増強中。世界は核軍拡の暗黒時代に逆戻りの様相だ。ヒロシマの、ナガサキの声は届いていないのか。
それでも、いや、だからこそ、山脇さんの言葉を借りて、私たちも訴える。
「この問題だけはアメリカに追従することなく核兵器に関する全ての分野で『核兵器廃絶』の毅然とした態度を示してください」と。

 

<つなぐ 戦後74年>「国のために」若き死を忘れぬ 14歳で特別年少兵 上尾の黒川忠さん:埼玉 - 東京新聞(2019年8月14日)

https://megalodon.jp/2019-0814-0919-28/https://www.tokyo-np.co.jp:443/article/saitama/list/201908/CK2019081402000161.html

 

<つなぐ 戦後74年>性接待 満州で1度死んだ 女性、遺族ら 歴史伝える決意 - 東京新聞(2019年8月14日)

https://megalodon.jp/2019-0814-0927-47/https://www.tokyo-np.co.jp:443/article/national/list/201908/CK2019081402000138.html

 

(政界地獄耳) 秋国会は政権批判防止の閣議決定から? - 日刊スポーツ(2019年8月13日)

https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/201908130000049.html
http://archive.today/2019.08.13-004037/https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/201908130000049.html

★10日、参院選期間中に札幌市で行われた首相・安倍晋三の街頭演説にやじを飛ばすなどした聴衆が北海道警の警察官に現場から排除された問題で反対する市民らのデモが行われた。また6日、道議会常任委員会でもこの問題が取り上げられ、道警本部長・山岸直人が「現場のトラブル防止の観点から措置を講じた」と説明。だが法的根拠の説明はない。

★ただ、道警の説明は、はなはだ説得力に欠ける。街頭演説で「増税反対」と声を上げた女子大生のとっさの判断による録音でのやりとりでは、道警(以下、警)「いきなり声上げたじゃん」、女子大生(以下、女)「なにそれ、犯罪なわけ?」警「取り押さえたんじゃなくて、やめよ」女「腕つかんで取り押さえたじゃん」警「それは取り押さえじゃないんだよ」女「じゃあ日本語が違うんだ、あなたたちと」警「法律に引っかかっているとかじゃなくて」。この法に基づかない問答が続くが、聞いていると現場のトラブルを巻き起こしているのは道警ではなかろうか。

★もしかしたら、それ以外のやりとりや犯罪要件を道警は知っていたり持っていたりするかもしれないが、いずれにせよ排除という名の連行に山岸が言うだけの説得力はない。選挙中の街頭演説で「増税反対」で私服や制服の警官に取り囲まれただけで民主国家の住民はその異様さに緊張するはずだ。当然、首相を応援する人たちの声やプラカードにおとがめはないとなれば、唯一、住民、市民、国民をその場から排除するにはそれなりの法的根拠が必要だ。無論、道警はじめ、警察がそれを無視して超法規を行使したか、秋までには法律を作ってやじのみならず、政権批判防止法でも作るなら、予行演習とでもいえよう。それを間違いだったと正し、謝罪するチャンスが6日の道議会だったにも関わらず道警は突っ張った。秋の国会ではまず政権批判防止の閣議決定からか。こわーい。(K)※敬称略

 

<つなぐ 戦後74年>鮮明な手記 伝える「戦争」 我孫子市史研究センター 会員の28編まとめ出版:千葉 - 東京新聞(2019年8月12日)

https://megalodon.jp/2019-0813-1015-09/https://www.tokyo-np.co.jp:443/article/chiba/list/201908/CK2019081202000194.html

 

(政界地獄耳) お上に盾付く行いだから乗れない - 日刊スポーツ(2019年8月12日)

https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/201908120000099.html
http://archive.today/2019.08.12-021146/https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/201908120000099.html

★8月6日に広島、9日に長崎に原爆が投下されてから74年がたった。そして間もなく訪れる74年前の15日に日本は終戦を迎えた。2度と戦争は起こさない。唯一の戦争被爆国として原爆の悲惨さを世界に知ってもらいたい。戦後、国際社会に復帰する日本の国民はそう願った。今年も6日、首相・安倍晋三広島市中区平和記念公園で開かれた平和記念式典に参列し、献花・あいさつ、被爆者代表らと会談し会見という流れを繰り返したが、条約については触れない。

★17年7月に国連で開発、所有、使用などあらゆる活動を禁じた核兵器禁止条約が批准されて2年がたった。日本はその先頭に立つべき立場にいながら「アプローチの仕方が違う」という屁(へ)理屈で参加の署名をしていない。米国の核の傘の下に自国の安全保障を位置付けているからだ。冷戦が崩壊しても、その冷戦構造の中に位置付ける価値観から動けない政府や国民の硬直した思考に歴史修正主義が加わり、今後日本は先の大戦に勝ったとまで言い出す輩(やから)が出てくるのではないか。

★それにつられるように、長崎県佐世保市教育委員会は4日に開催された「原爆写真展」の後援依頼を、同時に行う「ヒバクシャ国際署名」活動が「政治的中立を侵す恐れがある」と断った。つまり政府や首相が平和活動に懐疑的、または批判的なため、お上に逆らうような署名は政治的中立というより、お上に盾突く行いだから市教育委員会は乗れないということらしい。

★6日の平和記念式典の広島市長・松井一実の平和宣言は「1人の人間の力は小さく弱くても、1人1人が平和を望むことで、戦争を起こそうとする力を食い止めることができると信じています」とし、当時15歳だった女性の信条を単なる願いに終わらせていいのかと問い、ガンジーの「不寛容はそれ自体が暴力の一形態であり、真の民主的精神の成長を妨げるものです」を引用した。広島県知事・湯崎英彦は「核兵器を特別に保有し、事あらば使用するぞと他を脅すことが許される国があるのか」と保有国の考え自体がおかしいと指摘、「現実という言葉の持つ賢そうな響きに隠れ、実は逃避しているだけではないか」と迫った。政府と佐世保市が恥ずかしい。(K)※敬称略

 

語り始めた戦争孤児 悲惨な体験記録し後世へ - 毎日新聞(2019年8月12日)

https://mainichi.jp/articles/20190812/ddm/005/070/002000c
http://archive.today/2019.08.12-013833/https://mainichi.jp/articles/20190812/ddm/005/070/002000c

戦時中の空襲などで保護者を亡くした戦争孤児はどんな生活を強いられたのか。戦後74年を迎える今、浅井春夫・立教大名誉教授ら全国の研究者約30人が「戦争孤児たちの戦後史研究会」をつくり、聞き取り調査を進めている。
戦争孤児は12万人以上いるといわれ、空襲のほか広島・長崎の原爆、沖縄の地上戦でも大勢の子供が孤児となった。中国や南洋など海外から引き揚げる際に身寄りをなくした子供も多かった。
終戦後、東京・上野の地下道など各地に「浮浪児」といわれた子供たちがあふれ、餓死したり、凍死したりしたことも少なくなかった。
生きるために盗みや恐喝、売春をする者もいた。行政は「狩り込み」と呼ぶ強制的な収容をした。トラックに乗せられ、遠い山中に置き去りにされたこともあったという。
戦争は弱い立場の人に最も悲惨な被害をもたらす。だが、国は孤児の救済に力を入れず、孤児のための施設も少なかった。親戚や里親に引き取られる子供は多かったが、学校に通えず、働かされることもあった。
差別や偏見にさらされ、苦しんだ体験を大人になっても話さない人は多い。国も調査をしてこなかったため、他の戦争被害と比べて実態がよく分かっていない。
こうした中、当時子供だった人が高齢になった近年、このままでは孤児の体験が歴史に埋もれてしまうと、研究者の聞き取りなどに、つらい過去を語ることも増えてきた。ようやく発した言葉は重い。
星野光世さんは東京大空襲で両親と兄妹を亡くし、親戚の家で苦労を重ねた。星野さんは自分を含めて孤児11人の体験を文と絵で表した本「もしも魔法が使えたら」(2017年)に書いている。

<誰が好き好んで孤児になったというのでしょう。蔑(さげす)まれるべきは残された子どもではなく、親を奪った「あの戦争」ではないでしょうか>
民間の空襲被害者らの救済を目指している超党派議員連盟は17年、孤児らの被害の実態調査を国に課すことを含めた法律の骨子素案をまとめている。
体験を記録に残すことは、悲惨な戦争被害を後世にしっかり伝えることにつながる。