沖国大ヘリ墜落15年 対等な日米関係の構築を - 琉球新報(2019年8月12日)

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宜野湾市の沖縄国際大に米海兵隊所属の大型輸送ヘリCH53Dが墜落してから、13日で15年になる。事故は沖縄の社会に大きな衝撃を与え、県民は大学に隣接する米軍普天間飛行場の一日も早い返還を強く求めてきた。だが今も大学や周辺住宅地の上空を米軍機が日常的に飛び交う。
大学内の現場跡地には、小さな公園が整備されている。記憶の風化にあらがうように焼け焦げたアカギの木が立ち、被災した校舎の壁の一部が設置されている。モニュメントにはこう記されている。
「米軍は事故直後から墜落現場を一方的に封鎖し、本学関係者の要請する緊急かつ必要最小限度の立ち入りはもとより、沖縄県警の現場検証さえ拒否するなど『国家主権』が侵害されている異常な状態が続いています」。大学が設置した対策本部が発生2日後に出した抗議文の一節だ。
米軍ヘリは大学の本館ビルに激突し、墜落・炎上した。住宅地上空を米軍機が普通に行き来する沖縄の空の現実を突き付けた重大事故だったことに加え、記憶に苦々しく残るのは米軍の振る舞いだ。
米軍は数日間、事故現場を一方的に封鎖し、機体の搬出や木々の伐採などの作業を続けた。日米地位協定などを盾に県警の現場検証要請を拒み、市道の通行も止めた。
米国と日本のいびつな主従関係や沖縄の属領性の本質を照らし出した事故だったと言える。「良き隣人」を掲げていた米軍が見せた素顔は、多くの県民の失望と怒りを招いた。そして事故後に大学が指摘した「異常な状態」の温床は現在も残されたままだ。
2017年10月には東村高江の牧草地でCH53D後継機のCH53Eが不時着し炎上したが、県警が現場に立ち入ることができたのは発生6日後で、米軍が機体や周辺土壌を持ち去った。16年12月には普天間基地所属の輸送機MV22オスプレイが名護市安部の沿岸に墜落したが、同様に米軍が現場を規制した。
日米両政府は今年7月、基地外での米軍機事故の現場対応に関する指針について、日本側が現場に速やかに立ち入ることができるよう改定に合意した。だが立ち入りや機体捜査には依然米側の同意が必要で、米軍が絶対的な主導権を握る状況は変わらない。
トランプ米大統領は先日、日米安保条約は「不公平」だとして日本側に在日米軍駐留経費負担の増額を迫る構えを見せたが、日本側にとっては米軍の特権的地位を保障した不平等な日米地位協定の改定こそが最優先で取り組むべき課題であるはずだ。
米国に付き従う姿勢は技術的にもコスト的にも先が見通せない辺野古移設合意への拘泥につながり、政府自ら「世界一危険」と言う住宅地中心部の基地返還を遅らせ続けている。主権が侵害される異常な状態を改めて対等な関係構築に歩み出し、早期返還の願いにいいかげん応えてほしい。

 

<金口木舌>「死にたくない」 教訓は届いているか - 琉球新報(2019年8月12日)

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夏祭りが各地で開催中だ。星空保護区に認定された石垣市の南の島の星まつりでは会場の明かりが消され、来場者が夜空を見上げた。坂本九さんの名曲「見上げてごらん夜の星を」も流れた
▼34年前のきょう、坂本さんを含む524人を乗せた日本航空ジャンボ機が群馬県上野村の山中に墜落した。少なくとも沖縄県出身者3人も搭乗し、520人が亡くなった。以前に壊れた箇所の修理ミスが墜落原因といわれる
▼航空重大インシデントは2001年以降に全国で180件発生し、このうち沖縄は10件。航空機同士の衝突の恐れがあった誤発着は那覇空港だけで昨年2件起きた。人的トラブルは後を絶たない
▼部品落下などで那覇空港の滑走路の一時閉鎖はたびたびあり、その影響で欠航もある。今年6月に機長からアルコールが検出され、羽田発宮古島行きが欠航した
▼軍民共用の那覇空港以外に米軍の普天間、嘉手納両飛行場もあり、沖縄の空は過密だ。那覇は第2滑走路を建設中だが、造っておしまいではない。事故の教訓は航空関係者に届いているのか。最優先は何よりも安全性だ
▼坂本さんの代表曲「上を向いて歩こう」の歌詞に「幸せは空の上に」とある。日航機墜落の現場で見つかった複数の遺書は記す。「子供よろしく」「死にたくない」「幸せな人生だった」。人間の不注意が多くの命と幸せを奪う。