(政界地獄耳) 自民党の「通訳」だった社会党 - 日刊スポーツ(2020年11月16日)

https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/202011160000093.html

★日本の革新政党を担ってきた日本社会党の流れをくむ社民党の事実上の分裂で戦後長く続いた55年体制の終焉(しゅうえん)を見る思いがした。1993年の細川連立政権の後、翌年当時の社会党は連立与党を離脱して新党さきがけとともに自民党と連立政権を樹立する。政権復帰した自民党村山富市を首相に担いだ。今の自民党の度量では到底できないウルトラCであったが、政治のダイナミズムと、なんでもありなんだなと思わせた出来事だった。

★それ以来、社民党と名前を変えた党は党勢を縮小させ続けた。14日、都内で開かれた社民党臨時党大会の議決で党はまた小さくなっていく。ベテラン衆院議員・照屋寛徳は党首・福島瑞穂に「あなたが03年に党首になって、10年間で全国の社会党社民党の党員の皆さん、先輩方が築いた遺産をすべて食いつぶした」と糾弾。社会党委員長、首相、初代社民党党首を務めた村山は「やむを得ないこととはいえ、社民党が分かれてさらに小さくなることは残念」と談話を出した。

★ある古参の政界関係者が言う。「ぶれないとか貫く美徳はイデオロギー対立の時代なら意味がある。野党陣営の多くが立憲民主党に収れんしていく体制がベストだとは思っていない。なぜ共産党が立憲にいる元自民党小沢一郎中村喜四郎と頻繁に接触するかわかるか。立憲や国民民主党とあまりにも存立の経緯や文化が違うからだ。イデオロギーの齟齬(そご)なら議論すればいい。日本の政治は既に変質している。共産党の幹部が小沢や中村に期待しているのは立憲の幹部たちが言っていることの通訳なのだ。政治の経験や目的、目標があいまいで、党への思いや歴史も議会の運営の仕方も違う“新しい政治家”たちと共産党をつなぐ翻訳機としての役割とともに、政治の王道やセオリーを理解する自民党出身の2人となら話ができるという難しさだ」。その意味では自社さ政権を作る時、自民党日本新党など新しい政治に困惑し、社会党となら話ができると考えたのかもしれない。(K)※敬称略