社説 大林宣彦監督逝く 映像に託した反戦の思い - 毎日新聞(2020年4月12日)

https://mainichi.jp/articles/20200412/ddm/005/070/009000c
http://archive.today/2020.04.14-011444/https://mainichi.jp/articles/20200412/ddm/005/070/009000c

映画や芸術を「風化しないジャーナリズム」と称した。リアリズムを超えた大胆さで、戦争や権力への懐疑を映像に包み込んだ。
映画監督の大林宣彦さんが82歳で亡くなった。肺がんで余命を宣告されながら映画製作を続け、生涯現役を貫いた。
みずみずしい感性、先鋭的な映像への情熱は最期まで変わることはなかった。
CM演出をしながら個人映画を撮り続け、1977年に商業映画デビューした。故郷の広島県尾道市を舞台にした「時をかける少女」などの「尾道3部作」をはじめ、さまざまなジャンルの映画は多くの人に愛された。
「映像の魔術師」といわれ、ファンタジーとエンターテインメント感あふれる映像の中に、社会的なメッセージを託した。後輩の映画人に影響を与え、日本映画の発展に果たした役割は大きい。
近年、強く警鐘を鳴らしていたのは、人々から戦争の記憶が薄れることだった。
太平洋戦争中は軍国少年だった。実体験があるからこそ、「戦争を繰り返してはいけない」と語り継ぐことを責務と感じていた。
その表れが「戦争3部作」だ。東日本大震災の翌年に公開された「この空の花 長岡花火物語」、続く「野のなななのか」は地域の戦史を掘り起こし、反戦の思いや原発への危惧を込めた。
最終章の「花筐(はながたみ) HANAGATAMI」は若者を通して戦争の愚かさを突いた作品だった。
尾道市が舞台の「海辺の映画館 キネマの玉手箱」が遺作となった。現代の若者が時間移動し、史実では原爆で全滅した移動演劇隊「桜隊」の運命を変えようとする。
集大成にふさわしく、映画の楽しさと、時代への警告という信念を忘れなかった。
くしくも亡くなった10日に公開予定だったが、新型コロナウイルスの影響で延期になっていた。
コロナ禍で首都圏や大阪を中心に映画館が休業を余儀なくされている。新作の公開延期も相次ぐ。
スクリーンを介して作家や俳優と観客、そして観客同士が特別な時間を共有し、他者や過去、未来へ想像を巡らせる。大林監督が伝えてくれた、映画という芸術の持つ力をあらためてかみしめたい。