非暴力の戦い - 北海道新聞(2019年1月23日)


https://www.hokkaido-np.co.jp/article/269332
http://archive.today/2019.01.23-011337/https://www.hokkaido-np.co.jp/article/269332

沖縄県知事玉城デニーさんは昨年秋の選挙戦を北部の伊江島から始めた。母の出身地であり「真の民主主義を求め、島ぐるみで歩み出した原点」だからだ。
第一声に当たり、線香を手向けに立ち寄った場所がある。「沖縄のガンジー」と呼ばれた阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)さん(1901〜2002年)の資料館に隣接する祭壇だ。占領下の55年、米軍は「銃剣とブルドーザー」で家や畑をつぶし、土地を奪った。
阿波根さんたちはこれに非暴力で抵抗した。「乞食行進」と称して沖縄本島を巡り、窮状を訴えた。「乞食をするのは恥ずかしい。しかし土地を取り上げ乞食をさせる米軍はもっと恥ずかしい」
11項目の「陳情規定」を作り、米兵と話す時はこれを守った。<怒ったり悪口を言わない><うそ偽りは絶対語らない><耳より上に手を上げない>。手を上げると米兵が「暴力を振るった」と写真を撮るからだ。粘り強い交渉を経て多くの土地を返還させた。
資料館には「頑張って」と書き添えた布製の慰問袋が何枚も展示されている。60年余り前、たくさんの学用品、衣類、食料を詰め、炭鉱が盛んだった夕張などから送られてきた。阿波根さんは「北海道は距離は遠いが、一番近い身内」と話したという。
辺野古では今日も非暴力の戦いが続く。資料館の遺影横には「平和の最大の敵」そして「戦争の最大の友」は「無関心である」と記されている。