http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2018101702000162.html
https://megalodon.jp/2018-1017-1004-37/www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2018101702000162.html
ちょうど二十年前の十月八日、「日韓共同宣言」がまとまった。二つの国の不幸な歴史に区切りをつけ、協力することをうたった宣言だった。日本側は小渕恵三首相、韓国側は金大中(キムデジュン)大統領が署名した。親密だったこの二人は、共に故人になっている。
当時私はソウルに駐在していたので、とりわけ感慨深い。日本と縁の深かった金氏は、たびたび大統領府(青瓦台)に日本メディアの記者を招いて、親しく接してくれた。
青瓦台のスタッフたちとも、気軽に食事を共にした。日本では韓流ブームが起きた。日韓関係は最も豊かで、温かい時代だった。
皮肉なことに、この宣言のあと、日韓は歴史認識の面でかみ合わなくなってしまう。
「もう十分謝った」「謝罪が足りない」と、ことあるごとに声高な摩擦が生まれる。そのせいか、記念日である八日は、静かなまま過ぎた。「宣言」は色あせてしまった。
今、生前の金氏を知る人たちが、ある計画を立てている。民主化闘争に命をかけ、日本との関係を重視した金氏の生涯を、もう一度日本の若者に知ってもらうことだ。
分かりやすく、読みやすい本の形になりそうだ。金氏の遺族も同意してくれており、私も何らかの形で協力したいと思っている。
多くの若者が金氏の生きざまを知れば、二十年前の「宣言」に、もう一度命を吹き込めるかもしれない。 (五味洋治)