(時代ななめ読み)沖縄は取り戻さないのか - 西日本新聞(2018年9月23日)

https://www.nishinippon.co.jp/sp/nnp/reading_oblique/article/451844/
http://archive.today/2018.09.24-052357/https://www.nishinippon.co.jp/sp/nnp/reading_oblique/article/451844/

8月に亡くなった翁長雄志(おながたけし)沖縄県知事は、聞く人の胸に響く、というか、ボディーブローのようにこたえる言葉を数多く残した。
その中に一つ、こういう発言がある。
「総理の言う『日本を取り戻す』の中に、沖縄は入っていますか」
翁長氏の著書によれば、2015年9月、安倍晋三首相と首相官邸で面会した時に発した言葉だ。首相の返事はなかったという。

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今月中旬、沖縄に行った折に那覇市琉球朝日放送(QAB)を訪ね、14年前のニュース映像を見せてもらった。2004年8月、米軍普天間飛行場宜野湾市)の軍用ヘリが、隣接する沖縄国際大の構内に墜落した時の映像である。
ヘリは爆発、炎上して校舎の壁を焼いた。破片が付近の民家の窓を突き破り、寸前まで赤ん坊が寝ていた部屋に飛び込んだ。
さらに驚かされたのは、周辺になだれ込んできた米兵たちの行動だった。米軍基地の中でもない大学や住宅地に勝手に規制線を引き、学長や警察官でさえ入れなくしたのだ。
映像にはその様子が鮮明に記録されている。
中に入れないQABの記者が規制線の外側からリポートしようとしても、米兵がカメラを帽子で覆い、妨害する。「ここは公共の場だ」「何の権利があって妨害するんだ」と記者が英語で抗議するが、米兵は無言で記者を排除しようとする。住民が「ここは基地じゃないんだ」と叫んでも意に介するそぶりもない。
私がこの映像を見ていて怒りがこみ上げてくるのは、記者という同業者であるからだろうか。日本人であるからだろうか。

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当時、現場に一番乗りしたQABの笠間博之カメラマンは、規制線をすり抜けて校舎内に入り、煙を上げる事故機を近くから撮影した。それに気付いた米兵が、笠間さんと記者を構外に追い出した。
さらに米兵は、撮影したテープを取り上げようと笠間さんを追いかけてきた。笠間さんは同僚にそっとテープを渡し、持っていくよう無言で指示した。大柄な米兵に囲まれた笠間さんは空のカメラを見せ「テープ、ノー」で押し通した。
「とにかく撮って、伝えなきゃいけないと必死だった。一番腹が立ったのは、われわれを規制する現場の上を、米軍の別のヘリが飛んで撮影していたことですね」と笠間さんは語る。
この時の米兵の行動は、日米地位協定によって正当化され、当時の日本政府もそれを追認した。
QABの報道部長によれば、16年12月に米軍オスプレイが名護市の海岸に不時着し大破した事故でも、現場での米軍の取材規制は同じだった。「現場に入れない、というところを撮り続けてくれ」とカメラマンに指示したという。

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「日本を取り戻す」という威勢のいいスローガンで政権に復帰した安倍首相は任期中、一度も日米地位協定の改定を米国側に要求していない。このほど自民党総裁選で勝利し、3選を決めた。翁長氏の「『日本を取り戻す』に沖縄は入っていますか」の問い掛けは、宙に浮いたままだ。
その沖縄では今、翁長氏の後任を決める知事選が行われている。(論説副委員長)