https://ryukyushimpo.jp/column/entry-784545.html
http://archive.today/2018.08.18-005815/https://ryukyushimpo.jp/column/entry-784545.html
「私の体験を書いて」。15年ほど前、30代くらいの女性が来社した。性風俗産業にいたという女性は「身も心もぼろぼろになった。同じような経験を人にしてほしくない」と訴えた
▼新人の警察担当記者だった私は、事件性の有無が記事化の判断基準だった。監禁などで強いられたわけではなく、取り上げることができなかった
▼「記事にするのは難しい」と伝えたときの女性の落胆した表情を忘れることができない。自分の人生の「負」の部分をさらけ出すのは勇気がいる。社会を良くしようと声を上げた女性の勇気に応えられなかったことがずっと心に引っ掛かっている
▼幸せな生活を営む権利のある人が、望まない現実を強いられ、搾取されてぼろぼろになる構図がなぜ存在するのか。事件・事故や病気、失業…。何不自由ない生活が、あるきっかけで暗転する可能性は誰にでもある
▼支援を求めて声を上げるのも勇気のいることだ。本紙が連載した「彷徨(さまよ)う少年少女のリアル」に登場する子どもたちは困難に直面している。幼少期からの生活困窮や親からの虐待、いじめ。「助けて」の声を上げられない子どもたちのSOSを、私たちは見逃していないだろうか
▼「明日はわが身」。手を取り合うのか、「生産性」だけで人の価値を判断して切り捨てるのか。住みよい社会に向け、一人一人の意識が問われている。