http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/247357
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木村 草太(きむら そうた)
憲法学者/首都大学東京教授
1980年横浜市生まれ。2003年東京大学法学部卒業し、同年から同大学法学政治学研究科助手。2006年首都大学東京准教授、16年から教授。法科大学院の講義をまとめた「憲法の急所」(羽鳥書店)は「東京大学生協で最も売れている本」「全法科大学院生必読書」と話題となった。主な著書に「憲法の創造力」(NHK出版新書)「テレビが伝えない憲法の話」(PHP新書)「未完の憲法」(奥平康弘氏と共著、潮出版社)など。
ブログは「木村草太の力戦憲法」http://blog.goo.ne.jp/kimkimlr
ツイッターは@SotaKimura5月3日の憲法記念日、今年も昨年に続き、安倍晋三氏は改憲派の集会にビデオメッセージを送った。安倍氏は、「残念ながら近年においても『自衛隊は合憲』と言い切る憲法学者は2割にとどまり、違憲論争が存在します」と述べ、「自衛隊違憲論が存在する最大の原因は、憲法にわが国の防衛に関する規定が全く存在しないことにある」と指摘し、自衛隊明記の必要性を訴えた。
しかし、この主張には看過できない誤りがある。
第一に、「自衛隊は合憲と言い切る憲法学者」は、2割もいるはずがない。もちろん、専守防衛のための自衛隊を合憲と考える憲法学者はかなりいる。しかし、2015年安保法制で、限定的とはいえ、集団的自衛権の行使が可能になった(自衛隊法76条1項2号)。各種調査を見る限り、集団的自衛権の行使を含む、自衛隊のあらゆる活動を合憲と評価する憲法学者は、1割もいないだろう。
第二に、自衛隊違憲論を払拭(ふっしょく)する方法として、今の自民党案には妥当性がない。違憲論払拭には、「集団的自衛権の行使容認」を憲法に明記する必要がある。しかし、安倍氏は、「自衛隊明記」というだけで、「集団的自衛権明記」とは言わない。これは、自衛隊による集団的自衛権行使に、国民の反発が強いことを分かった上で、争点を隠しているとしか思えない。国民をだます表現はあまりに卑怯(ひきょう)だろう。
他方、相当数の憲法学者と多くの国民は、「従来型の専守防衛に徹する自衛隊なら、合憲であり、自衛隊の存在そのものは違憲ではない」と評価している。政府が本気で憲法学者の主張を重視し、「自衛隊の存在そのもの」への違憲の疑義を解消したいと考えるなら、それを違憲とする憲法学者と対話すべきだ。
しかし、安倍氏や自民党が、違憲論者とコミュニケーションをとったという話は聞かない。3月に発表された自衛隊明記の自民党改憲案が可決されたとしても、違憲論者は、「この条文でも現在の自衛隊の装備は自衛のレベルを超えているから違憲だ」などとして意見を変えない可能性が高い。「自衛隊違憲論をなくしたい」という主張の本気度は疑わしい。
第三に、「国の防衛に関する規定が全く存在しない」との憲法解釈は、これまでの政府解釈に反する。安倍内閣を含む歴代内閣は、日本への武力攻撃が生じた場合の自衛のための武力行使は「防衛行政」であり、行政の一種だと解釈してきた。だからこそ、自衛隊は「行政各部」の一つであり、その最高司令官は、行政の最高責任者たる首相となる(憲法72条参照)。
仮に、憲法に根拠規定がないなら、主権者国民は、自衛隊を組織・指揮する権限を内閣に負託していないことになる。そうなれば、その最高責任者が首相である理由も説明できなくなり、自衛隊の合憲性は全く説明できなくなってしまう。
安倍氏の発言は、自身の率いる安倍内閣の憲法解釈と齟齬(そご)をきたす。「自衛隊の存在自体が違憲」との論者を払(ふっ)拭(しょく)できないのも、首相が政府解釈を適切に理解できていないからではないか。
憲法論議は、正しい憲法理解を前提に行うべきだ。 (首都大学東京教授、憲法学者)