(余録)かつての著名な実業家の日記に… - 毎日新聞(2018年4月21日) 

https://mainichi.jp/articles/20180421/ddm/001/070/099000c
http://archive.today/2018.04.21-033504/https://mainichi.jp/articles/20180421/ddm/001/070/099000c

かつての著名な実業家の日記にしばしば「真砂(まさご)町の一友人を訪(おとな)ふ」という記述があった。後に、国文学者が友人とは何者か苦心して調べると、政界の黒幕や財界の実力者ではなく「彼女」だった。「日記の上では存在を消してしまっていたのである」(井上ひさし「自家製 文章読本」)
亡くなった後にプライバシーが暴かれるのは誰しも避けたい。インターネット時代の今は、見られたくないデータをパソコンやスマホに残さないことが肝心らしい。こうした「デジタル遺品」の整理は終活の課題だ。
一方で遺族が困ることもある。故人が利用していた有料サイトへの登録を解除できない。通帳のないネット銀行の口座がわからない。大事なデータの存在を知らせる「遺言状」が必要な時代なのか。
こちらは当事者に都合が悪くても後世に記録が残される仕組みになるだろうか。官庁の公文書だ。森友問題で発覚した改ざんを防ぐため更新履歴がシステムに残る電子決裁へ移行する。公文書の保存期間も原則1年以上にするという。
だが、これで安心なのか。役所が「ない」と言った文書があり、文書にあった内容を官僚が認めない。一連の問題で不安に思う人も多いに違いない。
ところで、井上さんは実業家の日記の話をなぜ「文章読本」に書いたのだろうか。「たしかに存在しているものを言葉はその働きによって巧妙に隠してしまうことができる」。言葉遣い一つで、ものごとの本質が変わるということか。政治家や官僚の顔が浮かぶ。