(余録)「問題のありかはほかでもない… - 毎日新聞(2018年2月23日)

https://mainichi.jp/articles/20180223/ddm/001/070/159000c
http://archive.today/2018.02.23-012525/https://mainichi.jp/articles/20180223/ddm/001/070/159000c

「問題のありかはほかでもない。運命の輪のたったひと廻(まわ)りで、何もかもが一変することだ」。ドストエフスキーの小説「賭博者」で、賭博にのめり込み零落(れいらく)した主人公がまたカジノへ向かう時の言葉である。
「私にとって貴いのは金ではない」という主人公は、賭場に飛び交う声や音を「あやしい心の戦慄(せんりつ)と、胸の痺(しび)れるような思いなしには聞くことができない」。賭博台をめざして急ぐ時は「私はほとんど全身に痙攣(けいれん)が起こりそうなのだ」
こんな紹介をするのもドストエフスキー自身が賭博中毒ともいえる人だったからだ。この作品も金に窮する中での実体験を基にしたやっつけ仕事だった。その後も新婚旅行でカジノに入り浸り、新妻の所持品まで質入れしてしまった。
さて入場料は2000円、通うのは1週間3回、28日間なら10回が限度。そう聞いて泉下(せんか)の文豪ならどう評するだろう。邦人や在日外国人が統合型リゾートのカジノを利用するにあたっての規制案という。政府が与党に示したものだ。
外国人の集客を狙うカジノだが、規制はむろん国内のギャンブル依存症増大を懸念してのことだ。では依存症が疑われる人が283万人という現状で、かの入場料や入場制限はその悪化を防げるか。文豪のせせら笑いが聞こえそうだ。
かたやカジノの経済効果に期待する人々は入場料など無用だという。文豪の描く主人公は「次」に訪れるかもしれぬ運命の一変に魅入られて賭博にのめり込む。何やらカジノ推進派の心中を思わせぬでもない。