週のはじめに考える 平和を願う言葉の力 - 東京新聞(2017年12月24日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017122402000138.html
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「平和と唱えるだけで平和を実現することはできない」と言われますが、平和を願う言葉が平和を実現する大きな力となることも、また真なりです。
本紙が朝刊で毎日掲載している「平和の俳句」は、戦後七十年の節目となる二〇一五年一月一日から始まりました。日々の紙面で紹介できたのは千句余りですが、応募総数は十三万句に上ります。この数は、読者の皆さんの平和への思いの強さにほかなりません。
「平和の俳句」誕生のきっかけとなったのは、その前年、さいたま市の女性(当時七十三歳)が詠んだ<梅雨空に『九条守れ』の女性デモ>という俳句でした。

◆「九条守れ」の句拒む
この句は、同市の公民館が開く俳句教室で互選により「公民館だより」の俳句コーナーに掲載されることが決まっていましたが、市側の判断で見送られました。「意見が二つに割れている問題で、一方の意見だけを載せるわけにはいかない」という理由です。
安倍晋三首相は一四年七月、歴代内閣が憲法違反としてきた「集団的自衛権の行使」を一転容認することを、内閣の一存で閣議決定しています。女性デモはそれに反対するデモだったのでしょうか。その中で起こった<九条守れ>俳句の掲載拒否でした。
その前年には、防衛・外交など特段の秘匿が必要な「特定秘密」を漏らした公務員らを厳罰に処す特定秘密保護法の成立が強行されています。一五年には集団的自衛権を行使するための安全保障関連法も成立が強行され、今では、安倍首相自身が憲法九条改正に堂々と言及する状況です。
憲法を尊重、擁護することは国会議員や公務員には義務のはずなのに、市民が詠むことは認めようとしない。改憲を目指す政権や政治勢力に対する公権力の「忖度(そんたく)」以外の何ものでもありません。

◆戦前の弾圧と重なる
この問題を、戦前の新興俳句弾圧の歴史と重ね合わせたのが、俳人金子兜太さんでした。
昭和初期、伝統俳句からの脱却を目指す新興俳句運動が起こり、多くの俳人が参加しましたが、一九四〇年から四三年にかけて治安維持法で投獄されていきます。
厭戦(えんせん)句や、貧困を嘆いて社会変革を目指す句は、当時の軍国主義体制にとって、戦争遂行の邪魔だったのでしょう。俳壇内部にも新興俳句を快く思わない人たちがいて、弾圧に便乗したといいます。
中国との戦端はすでに開かれていましたが、新興俳句への弾圧が始まった翌年には、米国などとの太平洋戦争に突入します。
「平和」と唱えることすらできず、言葉の歯止めを失った社会が国民を戦争へと駆り立て、国内外に多大な犠牲を強いたのです。
徴兵され、南方の凄惨(せいさん)な戦場を目の当たりにした金子さんは、戦後六十九年の終戦記念日に当たる一四年八月十五日の本紙紙面で、作家のいとうせいこうさんと語り合います。

<九条守れ>の句について聞いてみたいんだけど、と振られたいとうさんは、監視社会のように互いを縛る風潮への懸念を表明し、上から抑え付けられたように語られてきた戦前も「本当はこうだったんだろう」と応じました。
そして、その場で二人は、自ら選者となり、戦争体験や戦後世代が戦争体験をどう考えるかを詠んだ俳句の募集を提唱したのです。
そうして始まった平和の俳句を二人は「軽やかな平和運動」と呼びます。当初は一年の予定でしたが、「やめないで」という読者の声に励まされて三年続きました。
他国同士の戦争に参加することを法的に可能にし、戦争放棄と戦力不保持の憲法九条改正すら公言してはばからない安倍政権の下では、私たちの平和な暮らしが脅かされかねない。そんな時代に対する危機感を読者の皆さんと共有できたからこそ、続けることができたのです。
安倍首相はしばしば国会で「平和と唱えるだけで平和を実現することはできない。だからこそ、世界の国がそれぞれ努力し、平和で安定した世界をつくろうと協力し合っている」と言います。

◆「軽やかな平和運動
しかし、平和を強く願う気持ちがなければ、平和を実現する努力や協力にはつながりません。だからこそ、その気持ちを言葉で率直に表現することが大事なのです。
過去の教訓を顧みず、再び戦争への道を歩むことがあってはならない。政権監視は、私たち新聞にとって重要な役割です。
読者の皆さんが参加した三年間にわたる「軽やかな平和運動」が持つ意味は、とてつもなく重いものです。「平和の俳句」は年内いっぱいで、いったん幕を閉じますが、その意味の重さを、これからもずっと肝に銘じながら、新聞の役割を果たし続けます。