(筆洗)制服論争 - 東京新聞(2017年12月1日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2017120102000130.html
http://archive.is/2017.12.01-012017/http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2017120102000130.html

学校の制服廃止。そんな驚きの方針を国が打ち出したことがある。
第一次大戦の余波で物価が高騰し、米騒動などが起きたのを受けて、文部省が一九一九年に、保護者の負担を軽減するため、「中等程度以下の学校」での制服廃止を決めたのだ。
決定は、論争を巻き起こした。「そもそも高額な制服は不経済」と評価する声もあれば、学校の規律が緩み、ぜいたくを助長するとの批判も出て、教育における画一主義にまで議論は広がったという(難波知子著『学校制服の文化史』)
百年近くたっても制服をめぐる事情は変わらぬ。家計への負担でいえば、夏冬の制服に体操着やら何やら一式そろえれば、諭吉先生が足早に消えていく。わが子の新入学のためと喜びつつも、「それにしても、なぜこんなに…」と首をひねったことのある方も多かろう。
そういう実態に公正取引委員会がメスを入れた。制服の価格はメーカーや販売店任せという学校が多く、デフレが長引いているのに、制服はこの十年ほどで五千円も値上がりしたというから、見直しが必要だろう。
大正時代の制服論争では、ある高名な教育者が「服装を自由にした方が、人間の訓練はできる」と主張したそうだ。制服ならば、どんな服装がその場にふさわしいか、先生も生徒も考えずに済む。だが、それを考えることも「人間の訓練」。今でも新鮮に響く教育論だ。