(筆洗)ある夜、仕事で疲れ切った女性がタクシーを止めようとしたそう… - 東京新聞(2017年11月19日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2017111902000134.html
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ある夜、仕事で疲れ切った女性がタクシーを止めようとしたそうだ。ところが空車がやって来ない。あっちこっちとさまよい、やっと一台見つけた。心からほっとして目的地を告げた。「家まで!」
歌人穂村弘さんがある女性作家の話として書いていた。住所ではなく「家まで」と言われた運転手さんはさぞや面食らっただろうが、この疲れた女性の気持ちは分かる。「家」。くつろぎと安心の「場所」へ一刻も早く帰って、休みたい。そんな衝動が住所ではなく、「家まで」と言わせてしまったか。
「家まで」といえるのは幸せかもしれぬ。「帰る場所がない」。それが一つの背景と聞く。高齢者の再犯率の高さである。
出所したのに再び罪を犯して、刑務所に逆戻りしてしまう。最新の犯罪白書によると六十五歳以上の高齢者の再入率(出所後二年以内)は23%で世代別トップである。
出所後の貧困や親族との疎遠な関係が生活場所を見つけにくくしている。老いて帰る場所のない身を想像すれば自暴自棄にもなりやすかろう。刑務所を帰るべき「家」のように思う現実があるとすれば悲しい。
<いざや楽し まどいせん>。ドボルザーク作曲の「遠き山に日は落ちて」。夕暮れ。仕事を終え、誰かとの団居(まどい)を楽しみに家路につく。帰るべき場所、それを大切に思う日々。それがあれば暗い道を再び選ぼうとは思うまいに。